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南アフリカの世界遺産 ご案内2
2010年07月08日 13:54
準決勝の2試合目も終わりました。イングランドやアルゼンチンに大勝したドイツが圧勝かと思いきやスペインが完封しました。
決勝は日本が勝てなかったオランダとパラグアイに勝っていれば当たるはずだったスペインとの決戦になりました。オランドとスペインの対戦って世界史で言うオランダ独立戦争みたいです。
それはそうと南アフリカの世界遺産の3つ目からご案内いたします。
3.マプングブエの文化的景観
マプングブエは、南アフリカ共和国にかって繁栄した都市である。シャシ川とリンポポ川の合流点に位置し、現在のボツワナやジンバブエの一部をも支配したショナ王国の前身にあたる一集団が拠点としたことで、1050年から1270年に繁栄したと考えられている。マプングブエの都市遺跡は、現在、ユネスコの世界遺産に登録されている国立公園であり、考古遺跡である。その遺跡としての価値と文化的景観が良好に残されているために、2003年7月に世界遺産として認定された。
マプングブエの丘は北西-南東方向にソーセージ若しくはくさびのような形状をした砂岩の丘であり、その名称は「ジャッカルの住処」を意味する。その切り立った崖の高さはおよそ30mで、崖の上には平らな面がおよそ300mに渡って広がっている。その崖の上およびその周辺9haには、諸説あるが、1150年頃から100年間、若しくは1220年から1290年までの70年間を全盛期とする3000~5000人の人口を抱えていた国家があったと推定される。マプングブエが築かれたとき、K2遺跡から移ってきた人々は、マプングブエの丘の西側に住んだ。
マプングウエの丘の前にある灰色の土は、居住地域の広がりを示している。発掘調査によってK8区と名づけられた場所で深く掘られたテストピットによって深く分厚い堆積の状況が明らかになった。1980年に実施された発掘調査で確認されたこの層位は、遺跡全体の居住層の順番、すなわち編年を決定するのに大きく貢献した。一番下の第1層に鉄器時代初期に当たる6世紀の居住を示しておりマプングウエの丘を雨乞いに用いた農民たちが既に暮らしていたことが明らかになった。第2層は紀元1000年~同1220年に属し、西方にあるK2遺跡が「首都」であった時期に相当する。K2に直接関連する人々がマプングブエの丘のふもとに暮らしていたことを示している。次にマプングブエが首都である時代を示す第3層で、時期としては紀元1220~50年に相当する。焼失住居が第2層から第3層の移行期を示している。人々は新しい首都を造るために古い村を焼払って「更新」しようとした可能性がある。
第4層は、1250年から1300年であり、全盛期としてとらえる説と衰退期であると考える説とがある。いずれの解釈にせよマプングブエは、50年から80年ほどしか首都としては機能しなかった。つまり時間的にはK2遺跡の半分にもみたなかったのであるが、南側の基壇の分厚い堆積は、マプングブエに住み、この町を営んだ人々の重要な活動の足跡があったことを示している。
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4)人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(5) 特に、不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている、ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落または土地利用の際立った例
4、リフタスフェルト
リフタスフェルトは、南アフリカ共和国の北ケープ州にある、ごつごつとした峡谷や高い山々、目を見張る景観などに特徴付けられた山がちな砂漠地帯である。砂漠に覆われた平原から火山岩の岩山、ナミビア国境付近のオレンジ川沿いの緑地帯など、情景は様々に変わる。
南アフリカのナマカランド(Namaqualand)北部に位置するこの乾燥地帯は過酷な景観を呈しており、水がきわめて稀少なこの地域で生き延びられるのは、生物形態(lifeform)の中でも最もハードな存在だけである。気温は過酷そのもので、夏には摂氏50度を超えることもある。雨は滅多に降らない。
リフタスフェルトは、南アフリカに赴く自然愛好家たちには受けが良い。その景観はしばしば「火星的」と表現される。一見したところ不毛で荒涼とした景観が広がるが、つぶさに調べれば、そこには環境に適応した独特の砂漠の生命形態に溢れていることが明らかになるのである。
この地域の北部は、地元で放牧生活を営んでいるナマ人(Nama)たちとの18年にわたる交渉の末、1991年に面積1,624.45 km² の国立公園が設定された。2007年6月に、国立公園のすぐ南に接している規模と美しさで引けを取らない地域が、「リフタスフェルトの文化的・植物的景観」として、ユネスコの世界遺産に登録された。
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
(4)人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(5) 特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている、ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落または土地利用の際立った例。
登録名に「植物的」とはあるが、複合遺産ではなく、独特の自然景観が遊牧文化と結び付いた文化的景観として評価された物件である。
2つで長くなりましたのでまた明日に続きます。
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