- 名前
- そよ風タンポポ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 76歳
- 住所
- 岐阜
- 自己紹介
- 私は61歳になる独身の男性です。さまざまな困難な体験を経て、今はありのままの自分を生...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
あけおめ
2010年01月02日 12:57
明けましておめでとうございます。
本当は機能1時間くらいかかって書いたものもあるのだけど、ちょっとしたミスで消えてしまった。本当に悔しい。
毎日新しいことが起こり続け、
毎日が新しい日々なのだという思いはどこかにあるけど、
この時期はやはり山仕事が休みになり
生活の仕方、時間の流れが違ってくるから、
確かにより新しい日々が来ているのを感じる。
特に大晦日には新ちゃんが、
前の職場の旅館で養った腕を振るって
たくさんお料理を作ってくれたから余計だった。
彼は大晦日の朝から頑張って、チャワムシやら
ぶり大根やら、酢の物やら鍋料理などををしてくれた。
28日頃の話し合いで私は、
いろいろこれまで忙しかったから、
正月料理など特に作らなくてもいい、
朝は湯豆腐、昼はそれを味噌汁にし
夜はそれをカレーにする、そんな風でもいい、
とか言ったのだけど、
ほかの人には他の人のやりたいこともあり
新ちゃんがやるということでそんな風になった。
私は新ちゃんの求めに応じて隣町の金山に行き
マツオカで食料を14000円ほど買ってきた。
焼酎の二階堂の720ミリりっ取り入りのを1本も含めて
大晦日までに散らかり放題になっていた仕事部屋を整理清掃し、母屋の通り抜けの土間の整理もかなりやり、自転車置き場など、いろいろなものを置けるスペースを作り出した。Oさんはそうした作業から出たゴミを燃やし続けてくれたし、新ちゃんは野の花社の広間の掃除、整理をしてくれもした。
そしてこれまで兄は広間の北側に布団を敷いて寝ていたのだけど、もういつでも移れるようにしていた、元私が自分の部屋にしていた部屋に、大晦日に移った。何度も自分で移るように促していたのだけど、自分でするといいつつ、
しないで来ていたから、大晦日の夜に強く移るように言うと、やっと自分で移った。そして昨日の元日になり居心地を聞いてみると、やはり新しい部屋、個室の方が良いということだった。それもよかったと思う。
新ちゃんは元日は野の花社に残されている、天理教の御霊様に対し、祝詞を上げるなど、新年際のようなことをしたいと、毎年いい、今年もしたいということだったがやめてもらった。よくそのことに付いては話し合った。私は妹などの要望もあり、御霊さまと言う家族、祖先の霊を祭るところは残しているものの、ここを天理教の教会とは考えていないし、私自身は天理教に対し大きな批判を持っているし、父母や祖父母などが天理教に依拠することで、救われていった事実はなく、むしろそのことで苦しみもしたという加藤家の歴史もあり、元日祭をやることで祖先が喜ぶとは考えられないことも言った。それと新ちゃんがそうしたいという気持ちの中に、自らが祭主となって祝詞を書き読み上げたりすることの中に、そういうことをする自分を協会長のような役割を果たす、特別な人間になっていると自覚するような、自分の楽しみとしてやっているような感じを受けることについてもよく話し合った。そのことにある程度納得してくれて、御霊祭はやらないことにしてくれた。またいつも元日になると、近くの天理教におまいりしていたのも止めていた。
以前から新ちゃん自身も、現在の天理教のあり方、お金をお供えすることを強調しする一方、本部員などが外車を乗り回していたりする様なあり方を批判し続けていたのだけど、
そのことと現実の新ちゃんの天理教への積極的な参加の仕方の矛盾などについてはよく話し合っても来た。でもともかく長い間天理教の中で生きてきた部分もある新ちゃんは、そこがある所の居場所になっている部分もあり、当分そのことは変わらないだろう。
妹は、年末に心理内科にゆき、心理テストの結果を聞いてきたりしたが、時に障害の名前がつくような、結果は出ていないということだった。精神的な活動は活発で、周りの人々の適切な対応があれば良いみたいな評価がされていた。あくまでこのテストの時点の評価ですがという断り書きもあり、信頼できる感じの評価の仕方だったが。
ともあれ妹は相変わらずの部分もあるけど、以前と比べるとよく心からの笑い声を発するときが多くなった。自分で人を茶化して大笑いするようなこともよくある。まあそれが野の花社の雰囲気でもあるのだけど。私もよくピエロになって、変なことを言い、変な行動をして人を笑わせることが好きだから。
こんな野の花社の新年である。
さて今年はどんな展開が待っているのか
このデジログへのコメント
コメントを書く