- 名前
- そよ風タンポポ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 76歳
- 住所
- 岐阜
- 自己紹介
- 私は61歳になる独身の男性です。さまざまな困難な体験を経て、今はありのままの自分を生...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
自分のやりたいこと、嬉しいことをやる時間をもっと増やしたい
2010年01月25日 21:39
今日は電話でであるけど、特定のスタイルに設定されているわけではない、電話でのセラピーを受けた。これといて、特にめざましい体験をしたわけではないけど、この間ずーとそうしようとして、少しづつはそうしてもいて、だけど遅々たる歩みに過ぎなかった、自分がやりたいこと、嬉しいことをやる時間を、もう少し自覚的に増やしたいということに関し、改めて強く、優しく押された感じのセッションになった。終わって身体と心がホッとしているのを感じた。
ここ数年の、私の周りで起こっていること、私が私の選択として引き受けてもいる、困難を抱えた兄や妹、新ちゃん、そして失業してここに昨夏に来た妹の連れ合いのOさんとの関係から、私が引き受けている負担が大きすぎること、過重であることを感じ続けてきた。しかしそれは、なにかの過渡期、あるいは私がそうしたことをとおして何か大切なことを学ぶ時期でもあるのだろうと思いもし、ここでの生活を維持するために必要だとして引き受けてきたことでもあった。
でも、もうそろそろというか、こうしたありようを見つめ直し、出来る範囲でいいからもう少し自分が楽になれるよう、自分がしたいことができるよう、嬉しいことができるよう、生活のあり方、ここでの関係のあり方を、変えたくなってきた。昨年もそういう志向もあり、5月頃には3泊2日の瞑想キャンプに出かけたし、9月には神戸・芦屋の1泊2日のビレッシュのワークにも出た。10月には岡山の岡部明美さんの2泊3日のワークも受けた。旅費、食事代など含めたら、20万は掛けている。こうして振り返ると随分その方向に、私は歩み始めてりるのだと思いもする。ただそうしたことを、今ここでの日常生活の中で、どのように実現していくかということに関し、自分の中で明確なものがいまいち掛けていた、気もする。
それでもこの1年ほどは兄の病院への送り迎えは、しんどいからしないと兄にいい、何とか自分で行くようにといい、兄は近くの知り合いなどにお金を払っていくようになってもいた。それは随分私を楽にしてくれた。また昨年6月頃から、名古屋の市場への出荷を、新ちゃんの知り合いの山さんに頼んだことからもかなり楽になった。その他細かな点でも少しづつ負担が軽くなるようにしてきている。
それでもなおOさんもここに加わったことから増えた負担もあり、まだ忙しすぎるほど働きつつける必要のある状態は続いている。それは税金の支払いがいかにも過ぎることもある。
税金の支払いに関しては、いろいろな人に相談もして、
もう少し軽くなるように、実質的な経費を計上することも分かってきたし、新ちゃんを戸籍上私の養子にし、扶養控除も取れるような道筋も考えている。そのことは新ちゃんとも話し合い、彼も了解している。
そういうことも含め、お金、経済的な面だけでなく、ここでの人間関係で、私の関わり方をもう少し距離を持ったものに変えることで、私自身の精神的なストレスのようなものを減らすこと、今日はそうしたことに関してもアドバイスを貰った。仕事をしながらもう少し自分の中に入る時間、日常のことは横に置き、山の中での自然にひたあるような時間を自覚的にもう少し持つことに関しても。ときにそういう時間を持つことは今でもあるけど、もう少し自覚的にそういう時間を増やすこと、多分そうしたことから生まれる喜び、心地よさなどが、私の心身にいい影響をもたらすだろうこと、私が一番したいことを軸にそこから今のありようを見つめ治すこと、再編成していくこと、まあゆっくりだけど。大まかなそういう夢はあって、そこに至る過渡期と思っているところは今までもあったけど、ここの日常に取り紛れて、どうしてもその辺がおぼろげな目標みたいなものになり、そこから自分の生活を見直すリアルな力を持った目標にはなっておらず、何か途方にくれているのが現実の私であったりするわけだけど。
ともかくこんなことを、今日のセッションの中で感じ、終わったあと考え、確認している。でもそのセッションのあと、サンホームの風呂に入りに行ったが、疲れが出ているのを感じた。多分それは私の中で蓄積されている疲れがでてきているのだろう。帰ってきて、3時間ほどねた。
ああ、少し前から気づいていることだけど、脈拍がかなり多い。以前は55ぐらいと遅すぎるくらいだったが、今日は計ったら80台。多分かなり前からそうなっている気がする。疲れだけではなく、何かどこかが弱っているのかも知れない。このことに関してはもう少し自覚的に調べてみたほうが良いのを感じる。
渡航して長い文を書くと、胸のあたりが何か凝るというか、かすかに傷む感じがある。ああそういえば私の好きなクレイジイダンスを、長い間していない。私には和尚のダンス瞑想は、私のこった身体をほぐすためにもとてもいいいものなのだが、ずーとやっていない。
そうだ、ただ無心に踊ることも私のとても好きなことだ。踊りの無い人生は無いくらいに感じ、よく踊っていた時期があったのに、本当に踊る時間を作らなくなった。
なんとかその時間も作れるようにしたい。疲れた身体をほぐし、気の流れを良くし、少しでも心地よい時間を多くするために。
今日はこの辺で止めておこう。
ああ今日のセッションでよかったことは、ほかの人にも随分言われてきたことだけど、私のここでの生活がどう見てもとても負担が重過ぎるものになっていること、そのことをもう1度、はっきりと確認する場になったことだ。どう考えてもそれはそうなのだ。こんなことはとんでもないこと、普通には考えられないような重いことで、それを軽くしようとするのは当然で、そのことに負い目を感じることはまるでないのだということ、それを強く自覚したことだ。それが、ホッとした大きな理由だろう。
このデジログへのコメント
コメントを書く