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『メタスキル-心理療法の鍵を握るセラピストの姿勢』エイミー・ミンデル著を読んでいる

2009年02月01日 00:34

タイトルのエイミー・ミンデルの本をこの数日読んでいる。まだ単なる頭の理解でしかないけど、とても触発されるものを感じる。ここでの妹や兄に対する私の関係のあり方を、多くの点で省みさせられるということもあるし、同じことから来る彼らとのかかわりをもっと気楽なものにさせてくれる点でも、すごく嬉しい。多くのことはすでにアーノルドミンデルの本を読んで感じてきたことだけど、それがこの本では余計にクリア-に私にも理解できる感じがするところがある。
 この本の中に、こういう言葉がある。
 「プロセスの信念は、プロセスはそれ自身の知性を内包しているということを教えてくれる。私たちが何かを起こそうとしてはいけない。反対に、私たちは、すでにそこにある自然のパターンを発見して、クライエントのためにそれを役立たせなければならないのである。」p130

 私の妹や兄に対する関わり方の中には、私が何かを起こそうというところが、あらわに、あるいは微妙にある。だから妹などは、私が妹が自分を見つめるのに役立つと思われるような、ワークショップに出てみるように勧めるとき、どうしても受け入れられなくなる。彼女の内在的な欲求が育っていないのに勧めるから、むしろ反発心が起こってしまうのだ。
 この本を読んでいて、妹のことに関し気づいたことがある。彼女はここにきたときから、よくキャッチボールや、卓球をやりたがった。広間に卓球台を置きー机などを寄せ集めて作ったりしたーしばらく夜になると妹と卓球をしていた時期がある。あるいは私が屋根拭きの仕事を学んでいたとき、彼女をその手元として使って仕事をしたことがある。瓦を運んだり、瓦の下におく赤土を運んだりする仕事は、かなり体力を必要とする仕事だけど、彼女は余り疲れたと言うこともなく、一生懸命働いていた。私はあの疲れやすい妹が良くやるなーと、以外にさえ思った。
 こういう体験の意味していることを、私はとても大切なこととして自覚してはいなかった。確かに小さいころ過保護に育ち、運動などしないようにしつけられていた彼女にとって、そうしたことはとてもやりたいことだろうなと、少しは思う気持ちはあったが、そうしたことをするのがそれほど重要なこととは感じていなかったのだ。
 この本を読んでいると、そうした妹の気持ち、欲求を大切にすることが、いかに大切なことかがとてもよくわかる。そのことに付いてもっと書きたいけど、今は止める。そのことに付いて妹と話し合ったり何かを試みた後に、
またかけたら書きたい。両親との関係などでトラウマのようになっていることや、不整合になっている認知をどのように自覚し、そこから解き放たれていくかというように考えがちな私がいるけど、妹が今本当にしたいことに焦点をあて、そのことが育つのを見守るというか、ともにやってみることに力を注ぐというようなことは、あまりやってこなかったのだ。

 理解しづらいこともかなりあるけど、これまで学んできた心理療法のようなものの中で、私にシックリ来るものにやっと出会えたという気がする。

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