- 名前
- エンドウ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 41歳
- 住所
- 愛知
- 自己紹介
- 飲食店で激務の傍ら、休日は愛車と気ままなお出かけをすることが多かったのですが、最近は...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
終わりは別れとあるものだから
2006年03月16日 00:28
泣くことはないだろうと決め込んでいた。
どんなに視線を逸らそうとも、別れというやつは何らかの形でやってくることを知っているからだ。離れがたくて切なくて、どんなに追いすがったとしても、いつか人は死によって引き離される。別れとは避けて通ることのできないものだから、その度に悲しんでいてはやってられない。道を歩いていて、ふと方向転換をするぐらいの気持ちでなければいけないと思うのだ。
ここは僕にとって居心地のよい場所だった。
そりゃあ、初めて訪れたときは右も左もわからない、まったくもって未知の世界だったから戸惑うことしかできなかった。そんな僕を受け入れてくれる人がいたからこそ、次第に緊張がほぐれていって、今までのびのびとやってこれたのだ。
もちろん、全ての人が僕と打ち解けていたとは思わない。僕はそこまで自惚れることができるような人間ではないのだ。けれど、一握りでも僕を必要としてくれた人がいた。それはとても強い支えとなり、今日までの日々をここに刻むことができたんだろう。
多くの人と接し、多くを学んだ。時にはエッチなことではしゃいだりもした。とても楽しい記憶だ。その一方で幼稚な奴が無神経なことをしてきたり、バカ丸出しの発言で不愉快な気持ちにされたこともあった。実に腹立たしい記憶だ。
そんな、いろいろあった全ての出来事は、駆け抜けた今となってはいい思い出となっているから不思議なもんだ。
楽しかった。自慢して回りたいぐらい楽しかった。
けれど、それがいつまでも続かないということを僕は知っていたし、皆もはっきりと口にすることはなくとも知っていたはずだ。
その、わかりきった別れのときが来ただけだ。
知りえぬ最果てを目指して描かれる線たちが不意に交差して生じる一瞬の点が、出会いというものなのだと僕は思っている。そして、そこを始まりとして、巡り会った線たちが同じ方向を目指すのが人間関係だ。
しかし僕たちが辿る道は決して一本の線ではない。それぞれ人生が交わった瞬間だけは時を共有することができるけれど、やがては離れて遠ざかっていく。その意味で、人間関係とは通過するものだと思っている。
例えば、学生恋愛というやつがそいつの最もわかりやすい一例ではなかろうか。学生という接点の上では思考が焼き切れてしまったかのように好き好かれ、結婚しようなんて夢物語みたいな口約束を交わしてしまう奴さえいる。けれど、卒業という分岐路に立ってみればそれぞれの行く先によって二人の関係は曖昧となっていき、やがて消失する。
それでも、寄り添おうとした道が再び巡り会ったならば、それを縁と呼ぶのだろう。
ひとりで飄々と生きているように見られることがしばしばな僕ではあるが、縁を大切にしたいという気持ちは人一倍強いのではないだろうか、なんてよく思う。「誰も一人では生きられない」なんていうセリフはまさに人生を言い当てていて、ただひとつの縁さえ持つことができずに孤立してしまった人の苦悩は計り知れない。
だから、とても楽しいこことの縁は大切にしたいと思うはずなのに、なぜだか僕はその関係を通過するものだと決め込んだ。過ぎ去って、振り向くことはないだろうと頑なになっていたのだ。
ここを去り行く日は前々から決めていたので、辞めるという旨の話題は何度も持ち出していた。時にはわざとらしく「ボクのこと忘れてください」なんて言ったりして、相手の反応を確かめるような真似もしてみた。
ここにはそれこそいろんな人がいるもんだから、僕ひとりがいなくなったところで代わりになるような人はいくらでもいる。けれど、僕という人間はひとりしかいないのだ。
実際に辞めることを惜しむ声は何度も上がった。無理とはわかっていながらも引き止めるような言葉も何度となく耳にした。
僕は図らずしもここでの大きなウェイトを占めるようになってしまったので、その気持ちはわかる。しかし決意は揺るぐようなものではない。けれど気がかりだったのだ。僕がいなくなった後、ここはどのようになってしまうのだろうか・・・と。
認めよう。惜しんでいるのはむしろ僕のほうだ。自分がいなくなっても、もしも僕がいたらなんていうかなわぬ希望にすがることなくやっていって欲しいから、「ボクのこと忘れてください」なんて口にしたんだ。
それを自覚したら、強がっていた僕は涙ぐんでしまった。
ここで経てきた日々は得難い上に楽しいものだった。辞めなければ、これから送ることができるかもしれない日々も、きっと塗り替えていけるものだろう。
勝手は身にしみているから安定している。けれど、変化がない。
時として思うのは、自分はもしかしたら求道の人なのではないだろうかという、期待に似た疑問だ。僕はとんでもない俗物でとてもじゃないけどそんな高尚なものではないはずなのだが、高く、より高くを目指したいという思いは淡い期待を抱かせずにはいられない。
そのためには、安定してしまうことは皮肉なことに停滞に他ならないのだ。
熱くなって止まない目頭は心地よい場所に別れを告げなければならない寂しさを痛烈に感じさせる。
うん、わかってる。必要となった通過であると理性ではわかっていても、感情は正直なのだ。けれど僕はすでに新たなる世界への一歩を踏み出してしまっているから、ここに戻ってくるわけにはいかない。帰ることはかなわないから、そんな寂しさを感じられるほどに大きな存在となった出会いを持てたことを誇りとして、つなげて往きたいと思う。
瞳は涙をにじませるけれど、目じりは笑みを形作って。
僕は4年近くを過ごした肉屋に手を振った。
このデジログへのコメント
作家になれるよ。最後の落ちが気に入った。
人間は別れと出会いの繰り返しだもんね。離れ離れの道を進んでも縁があればきっと何処かで道が交差するよ。
コメントを書く