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現代若者考

2008年10月25日 18:05

これから私が書くことは無論私の経歴の中で出来上がった事ですので見方によれば偏見も入っているかもしれませんが、読まれた方からの反論も覚悟しています。

始めに私なりの概略的経歴を話しておかなければ、私がその様な考え方が形成された経緯が解り辛いと思うので。

私の両親は互いに再婚で、母には男子が一人、又父には長男、長女と次女の三人が居たが、暫くして連れ合いが他界。
母は一時を残し離婚

父はお寺の次男として育ったが若い頃漁師へ養子になりそこで結婚

長男が中学生の頃、世界大戦が始まり、満州に渡った。

一方母は離婚後単身で仲の良い実姉が満州に住んでいたので、それを頼りに満州に渡った。その実姉の夫は満州で諜報機関に勤めていた。

そこで知り合い再婚となり、私が誕生した。だから私には一人の兄と二人の姉が居たが私より十歳以上も上で、私は一手に皆からの愛情を受けて育った。

そこでの暮らしぶりは解らないが、私が一歳になる前に敗戦
そこで着の身着のまま引き上げて、父の実家である富山のお寺に移った。そこで三歳頃までいましたがその頃からの記憶は断片的ながら残っている。

その後父の弟の養子先の北海道旭川に両親と次女と私の四人が移り、長男長女は東京に出て就職

そして私が五歳頃、長男と長女の仕事も落ち着き、我々も東京に移り全員が一緒に生活できる様になった。

言ってみれば父は手の掛かる私たちを食い繋ぐ為、上の兄弟は東京に基盤を作る為に別々の生活を余儀なくされた。

母と私以外は全員働き、生活も何とか人並み程度で決して恵まれてはいなかったが、私がとてもひょうきん者なのと母の気質が皆の輪を纏めていた様にも思う。

その様な環境で愛情を受けていた事と経済的に恵まれていなかった事とでその後の私を形成して言ったのだと確信している。

私もご他聞にもれず、中学校の低学年までは非現実的な夢を持っていた。そして中学三年になる少し前頃からある程度現実的な将来像を考える様になった。

そして三年生になり勉強に心血を注ぎ、色々なテストなどでもクラスで2~5番を行き来していた。それはとりもなおさず進学の為に。

ところが三年生も後半に入り、いよいよ進学校を決める段階になり、母から経済的理由で大学は諦めるよう説得された。
そしてその時初めて今まで私の実兄弟だと思っていた兄や姉が実は異母兄弟と知らされ大きなショックを受けた。
そして母の説得を受け入れ、高校卒業後の就職を考え工業高校に進路換えした。

結婚家内がその経緯を知って「よく不良にならなかったね」
と言ったのを今でも覚えている。

卒業メーカー就職し、そこの技術部に配属され、よき先輩上司に恵まれ、自身勉強もしたが同時にその都度質問し日増しに知識を吸収できた。

元来私が持っている負けず嫌いがそうさせたのだと思う。特に自分が行きたくても行けなかった大学を出て私より後から入社する人には負けたくなかったからだ。

その後考える事があり数年の間2,3転職し、20年程前起業するまで勤めた外資系に長く勤めることとなった。

そこで永年勤めている間に、色々な世代を部下にし世代による差を感じざるを得なかった。

私の方に回る仕事は私自身がする訳ではなく、部下の資質に合わせやってもらう。実際には仕事量は多いから時には私自身でもしなくてはならない事もあるが、自分が個別の仕事に入ると全体が見れなくなる為、出来るだけ自分ではしないようにしている。

ある部下が手が開いたので仕事を回した。私が想定している日数が経っても作業が終わった報告が上がらず、次の仕事を待機させていた。

数日経過し、未だ報告が来ないので当人の作業場まで行った。
すると仕事に関係の無い本を読んでいるではないか。

私は彼を会議室に呼び、その理由を正すと「仕事があれば私から言って来ると思ってたから」と言うではないか。

一瞬呆然としたがこれは人による意識の差だからいきなり怒る訳にも行かず、私の仕事の仕方、意識そして過去に自分がしてきた事を話し、私の場合そうあって欲しいから今後はそうして欲しいと言い伝えた。

これが現代の風潮から見て合うか合わないかは解らないが、
私が上司から仕事を回された時「終わりましたが、XXX処理しましたが良いですか」そして「次何かありますか」と言って仕事をもらっていた。

当時経済発展が急速に進み、中堅管理職が足りず、ポストが多く開いていたから頑張れば次から次へと上のポストに着くことが可能だった。

ところが今は如何だろう。企業が発展している頃は部署や支社が増え、その度に管理職が増え管理職者が多くなった。そこへ景気の安定期、そして低迷期に入ると、各所で統括、統合の結果管理職が余ってくる。すると必然的に無能、扱い難い管理職者は排除される方向に向けられる。

だから今の若い者たちから見ればメン玉の上の瘤がやたらと多く、マニュアル等で制度化されている為、余程でない限り頑張っても上のホストには行けない。

無能上司に限って素質ある部下の頭を押さえつける。自分より前に出られると困るからだ。

先日ログにも書いたが仕事でメキシコへ行った。私は計測部門のメーカーとしての参加で、主体は日本の装置会社で、そこからの何人かと一緒だった。

ある日の夕食で酒を飲みながら、その内の一番若い社員と話し始めた。
若さと言い中でも彼が気骨がありそうだったので
「あなた方の年代が一番伸びる頃だから、もっと頑張って」
と言うと一寸躊躇しているような感じだった

返答を要約すると
「一人頑張って目立つより、皆と適当に合わせていた方が楽だから」

私も昔メーカーに居て大勢の仲間と一緒に仕事していたから、その気持ち、考え方も解るが、何時までもその様な仲間意識ではいられなくなる時が近い将来ある事は確かだが、それ以上はその事に関しては言及しなかった。

何か取り留めの無い方向に行ってしまいましたが、私の言わんとする事が多少なりともご理解頂ければ幸いです。

このログをお読み頂いた方、長い時間を割いて頂き有難うございます。

このデジログへのコメント

  • あずき 2008年10月25日 23:24

    個性や性格と言ってしまえば人それぞれでしょうが、仕事となると話は別。賛同します。社会の責任です。

  • 優子 2008年10月26日 03:31

    私はバイト先で『怖い』と思われているそうです。理由は『仕事の手を抜かない』から。情けなくて苦笑いです

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