- 名前
- エンドウ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 40歳
- 住所
- 愛知
- 自己紹介
- 飲食店で激務の傍ら、休日は愛車と気ままなお出かけをすることが多かったのですが、最近は...
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強くあるのは難しいから
2005年12月10日 23:39
最近はめっきり冷え込むようになりました。
特に朝晩の寒さといえば身も凍るような寒さで、無謀にも秋物で出かけようものならばがたがたと震え上がってしまうことでしょう。
そんな木枯らしが吹きすさぶ冬模様であるのに、素足を晒している、晒さざるを得ない女子学生には頭が下がります。
高校一年の頃に、寒くないのかな・・・と疑問を抱き、友人に尋ねてみたことがあります。
「おい、足出してて寒くないのか?足の皮が厚いのか?」
非難轟々でしたが、耐えられる寒さだという回答をいただきました。一年中スカートをはかざるを得ないので寒さに耐性がついているのかもしれません。
また、半袖にクォーターパンツという出で立ちで駆け回るという、更なるつわものである小学生もいますので、人間というのは意外と頑丈なのかもしれません。
しかし、寒いのは辛抱溜まらんエンドウさんはコートを買いました。
以前、ウラログにて欲し~と書いたアレです。
全体に刺繍が施されているという、がんばっている一品です。光の当たり方によって、この刺繍がよく見えるようになったり、逆に見えにくくなったりするのでおもしろい。
形自体も、もさっとしたコートのラインではなく、ジャケット調の裁断になっているのでキレイに見せることができます。裏地もストライプになっており、隙のない仕様になっています。
それでいてお値段が3万円弱なので、比較的お安い買い物ではないでしょうか。
余談ですが、ショップの兄ちゃんはイタリア製と言っていたのですが、調べてみるとヨーロッパスタイルを意識しただけのメイド・イン・チャイナじゃないですか。
でもいいんだ、かっこいいから。
・・・何だか恋におぼれた少年のようではないですか。
しかしデザイン重視のためか、どうも防寒性能が低いような気がするんですよ。
これまでは二年ほど前にユニクロで買ったコートを愛用してきました。装飾に見るべきところはなく、ベルトは付いてないわ、裏地は無地だわで、なんともシンプルなデザインです。
しかし、野暮ったい作りとは裏腹に、もこもことしていて暖かいものがあります。触感も何だか気持ちのよいもので、身体はもちろんのこと気持ちまでほんわかとしてくるような気がするのは錯覚ではないでしょう。
袖や胴回りに余裕があるので、下にジャケットを着込むこともでき、よりいっそう寒さを和らげることもできます。
この度購入したコートは対極を行くような品物ですが、見た目が評価の多くを占めるような現状に沿った、意匠を凝らした外殻です。
ダサイとキモイと言われないためには、見栄えを良くすることは大前提です。そのためには、多少薄っぺらくたってかっこいいコートを買ってしまうというものです。
しかし、工夫が凝らされたデザインなんて、本来の目的である寒さを防ぐという点から見れば、無駄以外の何者でもありません。
ベルトも無駄。スリットも無駄。名称がわかりませんが、袖口や肩などに施されているボタン止めのアレも無駄。ファーもボアもみんな無駄。無駄無駄。無駄だらけです。
そう考えるならば、そもそもファッション自体が意味のないものとなります。
最低限、陰部を隠すものと体温調節の代わりとなるものがあればいいわけですから、色合いや装飾は必要ではないんですね。
ファッションを引き合いに出しましたが、同様にいろいろなことの意味を疑っていくと、あらゆることが意味を失っていきます。ただ純粋に生きることにとって、この世にはびこる様々なものが不純物となるのです。
その果てに残るのは、紛れもなく自分の身ただひとつだけです。もし、そこに意味がないというなら、それこそ生きている意味がなくなってしまいます。自殺です。
自身を悲観しながらも生きているということは、無意識ながらも誇りを残して生きているのではないでしょうか。
ただ、ひとりひとりは自分の中に絶対的な価値を置いて生きていけるほど強くはありません。外側に何かしら価値の見出せるもの、噛み砕いていうならば生きがいがあったほうが生きやすいというものです。
それは、それこそ何でもいいでしょう。
ファッションやスポーツなどの趣味に打ち込むのもよし、アルバイトや仕事に勤しむもよし。もしくはボランティアや恋愛に励むのもいいでしょう。
ただし、距離の取り方というのか、それにのめり込まないことが要点となります。
趣味・仕事・恋愛などのあらゆる彩りのために生きるのではなく、生きるためにそれらを拠り所とするということです。
自転車で例えるならば補助輪みたいなものですから、うまく活用することができればそれに越したことはありません。
まあ、実践するのは難しいと思います。俺自身もまるでうまくやっていませんからね。
世俗にとらわれず生きていくなんてあまりにも究極的で、哲学の大先生しかできないような生き方です。
凡人は自らの内に小さな価値を抱えたまま、あっちへふらふら、こっちへふらふらしながら生きていきましょう。
とりあえず、今度はシャツが欲しくなってきました。
このデジログへのコメント
ついにコート買ったんだね。ファッション性か実用性か迷うね。シャツも買ったらログで報告して下さい。
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