- 名前
- あおい
- 性別
- ♀
- 年齢
- 39歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- あおいもバツイチになってしまったの。4年ぶりに再登場よ。 誰かお相手してくださいな。。
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あおいさんの02月のウラログ一覧
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2008年02月29日 20:52
今回は、あおいの、超お勧めな貸し切り温泉を紹介しちゃいますよ。 それは、谷川温泉の「水上山荘」です。 「水上山荘」といえば、(社)日本温泉協会認定の5ツ星温泉の「源泉かけ流し」の温泉で、一滴の... 続きを読む
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2008年02月28日 20:46
那須温泉の「若喜旅館」の貸切露天風呂は、旅館自慢の庭園に面しています。 その湯舟は開放感にあふれ、しかもよく手入れされていますので清潔感も申し分ありませんよ。 湯に浸かりながら那須高原の爽やか... 続きを読む
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2008年02月26日 19:41
湯西川温泉にあります「平の高房」の貸切露天風呂は、2つとも大きな石を積み上げて造った野趣あふれる雰囲気を持っています。 いずれも自家源泉100%のかけ流しとなっているのが嬉しいですね。 湯舟の... 続きを読む
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2008年02月25日 19:51
川俣温泉「一柳閣」は、鬼怒川源流を望む秘湯の温泉宿で、3種の貸切露天風呂を満喫できますよ。 すがすがしい香りの檜風呂、ジャグジー気分のあわ風呂、野趣あふれる打たせ湯と個性豊かな貸切露天風呂が楽... 続きを読む
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2008年02月24日 18:06
鬼怒川温泉には、まだまだ貸し切り温泉があります。 「鬼怒川パークホテル」は、秋には美しい紅葉を一望することが出来、駅から5分と近く、情緒漂う渓流沿いの宿ですよ。 古代檜風呂・大江戸浮世風呂・屋... 続きを読む
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2008年02月23日 11:45
塩原温泉の宿 「ホテル塩原ガーデン」は、2本の清流の合流地点に位置し、正面には名勝天狗岩や、2001年に完成した、七ツ岩吊り橋を望む眺望が自慢の宿です。 自家源泉を含む3本の源泉を引く豊富な湯... 続きを読む
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2008年02月21日 18:31
奥塩原高原ホテルには、3つ貸切露天風呂があります。 それら全てが森林に面していて、益子焼風呂の『きすげ』、檜風呂の『やまゆり』、西洋陶器風呂の『りんどう』と、湯船の種類も様々ですよ。 お湯は硫... 続きを読む
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2008年02月20日 21:55
今回から、あおいが今までに利用したことのある、水戸を起点にして、日帰りで利用できる、貸し切り温泉の情報を、シリーズでお伝えしようと思います。 ます、鬼怒川温泉にある、鬼怒川プラザホテルの貸切風... 続きを読む
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2008年02月19日 19:47
前に、生瀬の乱のところでもう少し詳しくお話をしておくことでしたが、 関ヶ原の戦いの時に、態度をはっきりさせなかったために、慶長7年(1602)水戸城主 佐竹義宣は、徳川家康より、秋田移封の命を... 続きを読む
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2008年02月18日 20:25
さて、昨日の薬草・薬木のご案内で一つ漏れてしまいましたので、追加いたします。 それは、前に常陸太田銘菓のちまきのお話をいたしましたが、そのちまきをくるんでいるのが、西山荘周辺に生育している熊笹... 続きを読む
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2008年02月17日 19:15
西山荘の案内の目玉の一つに、心(白蓮)の池があります。 光圀公は、「書と人の心は、裏からも見よ。」との戒めから、心の文字を逆さに見た形の池を造りました。 これは、心を裏側から見ても潔白(正直)... 続きを読む
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2008年02月16日 22:37
西山荘には、表門と裏門とがありますが、裏門の方が屋根付きで立派に作られています。 家臣や近所の庶民が出入りしたのが裏門(通用門)なのですよ。 お百姓さんなどの庶民は、屋根付きの門など、一生くぐ... 続きを読む
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2008年02月15日 20:59
西山荘の入り口には、「下乗」の立て札が立っています。 これは、身分に関わり無く、誰もが乗り物から降りて歩きなさい、という意味です。 駕篭や馬などで山荘を訪れた者も、山荘の住民も、光圀公自身も、西... 続きを読む
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2008年02月14日 19:41
実在の水戸光圀は、『大日本史』編纂のために家臣の儒学者らを日本各地へ派遣したといわれていますが、彼自身が諸国を漫遊したという史実はないとされています。 幕末になって、講談師が『水戸黄門漫遊記』... 続きを読む
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2008年02月13日 19:35
光圀公が、この常陸太田の西山を隠居の地に選んだ理由は、三つあると言われています。 その一つ目は、両親の墓所の瑞竜山や母久子の菩提寺の久昌寺に近かったこと。 二つ目は、秋田への国替えとなった佐竹氏... 続きを読む
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2008年02月12日 18:28
西山荘は、水戸の北20キロの常陸太田市内にあり、徳川光圀公(水戸黄門)が隠居されたところです。 光圀卿は、元禄4年(1691)から、73才で亡くなられるまで10年間、ここで過ごされました。 谷あ... 続きを読む
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2008年02月11日 17:45
日本の代表的な観光地や景勝地、地域が誇る美しい自然、歴史遺産のなかから「一生に一度は訪ねてみたい百ヶ所」を選んで顕彰する「遊歩百選」。 読売新聞社が主催するこの事業に、このたび「常陸太田歴史の里... 続きを読む
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2008年02月10日 19:19
慶長7年(1602)水戸城主 佐竹義宣は、徳川家康より、秋田移封の命をうけました。この時に、年貢の取り立てについては、完全徴収を期することになり、領内の代官は一斉に徴収を開始したのです。 久慈... 続きを読む
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2008年02月07日 20:23
20代、佐竹義宣の時代、常陸南方地域は旧勢力支配の時代が長かったために、佐竹氏の支配力が十分には及びませんでした。 義宣は、この地域の旧勢力を一掃しない限り、真の意味で佐竹領にはならないと考え、... 続きを読む
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2008年02月06日 19:55
伊達正宗の兜の前立ては三日月であることはよく知られているところですよね。 では、佐竹氏の兜の前立ては何だと思いますか? これがなんと毛虫なのですよ。 毛虫といっても生きている毛虫ではありませんが... 続きを読む
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2008年02月05日 20:30
しかし、四代秀義の時代になるや、同族源頼朝より、頼朝が鎌倉で挙兵したときに参上しなかったため、不服従のかどによって討伐を受けました。金砂山を舞台に合戦が繰り広げられたのです。 当初は秀義側が優位... 続きを読む
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2008年02月04日 20:07
東国の名門、佐竹氏の祖を遡れば、清和源氏の八幡太郎義家の弟である新羅三郎義光に到達します。ちなみに、NHKで放映された大河ドラマ「義経」やその兄「頼朝」の曾祖父さんは、八幡太郎義家ですから祖先... 続きを読む
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2008年02月03日 12:46
今回も八幡太郎義家のお話です。 この常陸太田市付近には八幡太郎義家伝説が数多く残されていますので、あおいの知っている情報を引き続き紹介したいと思います。 まず、源義家が奥州征伐の際、神社に戦勝... 続きを読む
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2008年02月02日 14:54
茨城県北部の日立市から常陸太田市(旧里美村)にまたがっている標高658mの竪破山。 この山のいわれは、寛治元年(1087年)八幡太郎義家が奥州遠征の途中、黒崎神社で一夜戦勝を祈ったところ、神様が... 続きを読む
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2008年02月01日 22:52
今日から、あおいが観光ボランティアをしていて、勉強した内容について、何回かに分けてご紹介しようと思っています。 ます、八万太郎義家と水戸と納豆との関わりについてです。 現在から2300年余りもさ... 続きを読む