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【お題日記】1人Hってどうやって知った?

2021年09月11日 18:34

今日のお題は「1人Hってどうやって知った?」

小4のときに、近所のお姉さん(5・6年生)の家の押入れの中で、怪しげな暗闇で互いに変な気分になってお姉さんにしごかれて行ってしまった。

精液は出なかった。

それから、そのお姉さん快感を思い出すたびに自分でやった。


精液が出るようになったのは6年生頃からだったろうか。それまでの快感が違い、精液尿道を通過するときに、全身の血が快楽物質で覆われるような軽い痙攣を起こすようなものにかわった。

お姉さんにやられたマスターベーションは、皮を剥き出したり戻したりするやりかただったので、中学生頃には皮は伸び広がって、完全立派な包茎(剥けて性交に支障がないものは仮性包茎というらしい)となってしまった。

のちに亀頭を指の和で擦るやり方へと変わっていったが、頂点に達するとき皮も全剥けにしてチン古全体の刺激にしたいので、仮性包茎はな治っていない。ときどきそれらしくなるときもあるけど、マスターでまた同じ状態となる。
中学高校のときは、射精すると2メートルぐらい飛ぶので、何編もトイレの壁を汚したか、チリ紙でつまむように取って壁に染み込まなようにしてきたが、だんだん跡が残るようになっていった。

こうして多くの男は、前の壁に片手を付き斜めになった体勢でマスターベーションをやって、精液の飛び散りを便器内に納めるようにするので、その格好をするだけで隠語的に互いに通じるポーズとなっていた。
そうして、やりすぎたとか何回やってしまったとか話し合うのである。

私の「イタ・セクシャリス」(森鴎外の性の目覚めと経験の短編小説の題名)の話の続きは、いつか書く機会が有るだろう。




さて話は代わり、知り合いから悪魔崇拝儀式の乱交の問題を持ちかけられ、それについて赤裸々に本当を書いたので、ここでも紹介したい。

重い内容だが、いつか誰か読むかもしれないので、生の風俗文化として掲載する。




うえの案内動画(ゆーち)を見ましたが、概要欄のテレグ動画には繋げられませんでした。
まあ案内動画のおおよそは推察できます。

人間の野蛮な本能と知性が逆転して起こす動物以上の野蛮な殺戮原爆や核のような)をやっても、今のアメリカのように悪びれも反省もしていません。

私は子供の頃から先の戦争での野蛮な殺戮場面や、ベトナム戦争の映像など沢山見てきて、極限の原爆投下後の人々の被害写真も見てきました。

現在はそれらを平気で忘れられる、血まみれの地獄の世界なのですから。

多くの人々はそのことを日常の生活に追われ忘れているのですし、まったくその野蛮性を自覚していないのです。



また正義と悪。悪魔崇拝と神や救世主崇拝など(対立関係にあるもの)は両者が互いを必要にしている仲間なのです。悪がなければ正義は必要なくなり存在しません。

ただしこれは頭の中の意識内で言える原理のことで、現実的な力に対しては敵対し悪を打ちのめさなければなりません。

悪魔崇拝者については、遠くユダヤ教以前の古代宗教から続くようで、それをユダヤ教の一部が温存して今でも継承しているようです。

というのも、社会上層者の各自の思想と、その地位や生活などの裏付け物証や保証はなく、金だけが安心できる物証であるのですが、それが現代では株式だとか金融操作で一日にして無価値化や陰謀的な一文なしにされかねないものと、なっているのです。

金が政治を支配していますし警察も諜報機関も暴力団も、殺し屋組織さえ金の力で動かしているのですから、金持ち権力者個人は自分名義の財産を維持するため、自分の命を守らなければならず、片時もスキを作って財産が奪われないようしなければなりません。
しっかり企業や財産の防衛策を取っていても、完全はありませんし、裏切りがいつ起きるか、裏切り策略が進行しているのか、いくつ命が合っても安心はえられません。

こうして社会上層者たちは、互いに疑心暗鬼に陥るのですし、陥れらされるし、自らがそこに入っていくのですから、何らかの形で互いの信頼関係を生み出さないと、永遠に安心できるものができないのです。

だからどの国や民俗でも、敵の人質として息子や娘を使って、婚姻関係で互いに同盟を結んだりするわけです。

現代の資本主義となれば相手の企業資本家の数が多く、自分の縁戚者揃えても「婚姻関係で」結びつこうとは行かなくなっているのです。麻生安倍が親戚同士だというのも、こうして生まれてきている現象です。
血縁金縁地縁同族意識(源平)だとか。

あと人々が信頼関係で結ばれる手段は、表立っては信仰の思想か科学哲学理念しかありません。

つまり思想の一致てそれが生まれます。

しかし社会上層は、宗教観も哲学も違い、互いを結ぶものは「後ろ暗い共犯意識」「おれを裏切ったらお前らも道連れだぞ」という互いの反道徳意識に共通項を起き、そこに依拠する原理を利用しなければならなくなるのです。

こうしてそれが絶対的に安心できるものにするのが、悪魔崇拝の儀式となり、犯罪性・猟奇的異常性・野蛮性・動物以下の互いの行為、を互いが確認し合うもの、イベントや儀式となるのです。


よく言われる夫婦交換や、自然にやりたくなった者同士がセックスをやる、そうしてそれを皆なが同じ空間でやり、皆が互いを見ていて知っているという乱交関係ができたり、少年少女を連れてきて、幼児少年愛やその強姦であったり、複数う回し強姦だったり、それを生贄として殺し解剖して、肉片を食べ合ったり、共通犯罪行為の共有をし合っているのです。


古代ローマでも同じ現象が起きています。貴族大商人婦人が奴隷剣闘士と交わったり、皇帝母子・父子相姦だとかも。食べたいだけ食べ飲みたいだけ飲み、腹に入らなくなったらトリの羽で喉奥を刺激して戻し、また飲食を楽しむといった、欲望の充足を貪欲に追求していました。性欲についても屋敷のあちらこちらで男女や同性同士が交じあっていたのです。

中世ヨーロッパ横行貴族キリスト教、高位坊主教皇庁などの上層でも、文化が荒廃すると、同様なことが起きてきたのです。
悪魔崇拝儀式も行われ「怖い話」を楽しむものとして伝わってきていますが、うえに話した人間関係原理や、集団犯罪の共犯意識の原理などから、本当にあったことでしょう。

キリスト教牧師仏教坊主も、その真理を掴つかまえられない者、また真理を掴んだが、真理(愛と幸せ)のために戦わない(広めない)者は、それを語る資格はないのです。

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