- 名前
- ベソ
- 性別
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- 年齢
- 64歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- 我ハ墓守也。
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アインシュタインの憂鬱
2014年11月24日 02:03
機会があり短時間ながらドイツ南部のウルムという街を訪れた。ここは知る人ぞ知る、かのアインシュタインの故郷。
到着したのは既に日が落ちてからで、しかも街は霧に包まれとても観光という雰囲気やなかった。
それでも若い同僚と共に街を歩き回り、何処かにアインシュタインの痕跡はないか、と探し回った。
しかし、ない。
これが米国なら街に「アインシュタイン通り」「アインシュタイン高校」「アインシュタイン図書館」があり、また「アインシュタイン・カフェ」や「アルバートの好きなサンドイッチの店」等の商業主義全開の屋号が並び…という展開になるのは間違いないところやけど、この街では短時間ではそうした痕跡を一切発見できなかった。
勿論、明るい時に時間をかけて丹念に探せば見つかったに違いないと思うが、科学史にあれだけの足跡を残した巨人の出生地として当然と思われる扱いを彼が故郷で受けていないのは明らか。
失意のうちに古いレストランに入り夕食を摂ったが、そこで話をした地元の人もアインシュタイン出生の地で生活していることは勿論自覚していても、それを特別に誇りに思っている風でもないことに衝撃を受けた。
ここが紛れもなく彼の故郷である証明に行き当たったのは、街の中央駅の売店で冷蔵庫に貼りつける、彼の名を記し写真をあしらったマグネットを発見した時。土産物のマグネット。彼がここで産まれたことを証明するのがこれ???
これが、人類最高の知性の一人である人の出身地で、地元の人がする仕打ちなのか…
しばし呆然。そして考えた。
ドイツ国民は彼に対して、称賛だけでない複雑な感情を明らかに持っている。それは彼がユダヤ人であることに起因する部分と、それ以外があるんやろう。その部分をドイツ人に聞くのは余りに微妙な問題なので憚られる。
彼は生後9カ月で家族と共にウルムを離れ、イタリアに移住している。そしてドイツでは目立った業績を挙げておらず、ナチ政権からは国家反逆者として犯罪者扱いをされ、彼自身はナチ率いるドイツを自らへの脅威とみなしていた。故に米国国籍を取得し、原爆開発に協力した、というのが一般的な見方。
英雄は故郷では愛されない。そう喝破した人がいた。
現在、ウルム市のサイトを見ると、「アインシュタイン噴水」が設けてあることが分る。市側は宣伝に有効活用を試みている、という図。
改めて欧州史の複雑さを垣間見、そして我が国との関わりを考えた。
彼は1922年、改造社の招きで来日し、43日間滞在して7都市で都合8回の講演を行い、14,000人の聴衆を集めたという。
(改造社ですから、革命に資する、という意図やったようですが、アインシュタイン本人はそんなことはまったく意に介さなかったようです)
その際、入国したのは神戸港で、出国は門司港やった、という記録が残っている。
死去したのは米国ニュージャージー州。自らがユダヤ人であることの自覚は強く、イスラエルの進退にはいつも大きな関心を持っていたという。
そんな人やから、自分がウルムでどう扱われようと、まったく気にしていないのかも知れませんが。
日本は連休ですね。皆様、連休最後の一日、エンジョイしてください。
このウラログへのコメント
表にウルム市HPのアインシュタイン噴水のページのイメージを載せました。良かったら見てください。
こうして熱心なのは行政側だけ、というのが何とも…
> 紅牛さん
お疲れ様。わしも仕事です。今は日本やないから当然か。
さて、元気に行って来るで~!
> さ や かさん
意外やろ? わしも信じられん思いやったよ。
しかし独人と話していてそれとなくアインシュタインのことを聞いても、表情が明るくなるのを見たことがない。
> さ や かさん
寧ろ、「何でそんな奴の話を出すんだよ」と言いたげなものを感じる。
独人とユダヤ人の乖離はそれ程深く、当事者でない我々には恐らく計り知れないものなんやろう。
> さ や かさん
これに通じるのは米国の白黒人間の乖離で、最近のミズーリ州の騒乱を見てもこの問題が一向に改善していないことを全世界に証明した。
「人類皆兄弟」と言った人がいたが…
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