- 名前
- ベソ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 64歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- 我ハ墓守也。
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臆病
2009年07月26日 00:44
いつからか、何事も断言することが出来なくなった。
学生時代、心理学の本を手当たり次第に図書館で借りて読んだせいだろうか?
違う。思い返せば中学、高校時代からそうなったように思う。
「不可知論」という考え方がある。ウィキペディアに寄ると、「不可知論(ふかちろん、英:agnosticism)は、形而上の存在、死後の世界、神の存在、神のお告げなど、神学に関する命題の真偽、また客観的本質的な実存は本質的に認識することが不可能である、とする宗教的、あるいは哲学的な立場をいう。」とあり、かなり大袈裟。でも、わしが感じていたことは、エッセンスだけ抜き出すと以下のように大変シンプルに要約できる考えだった。
世の中、きっぱりと断言できることなんてない。
或る人の行為を断罪する、という行動。果たして行為者の動機、背景を本当に理解した上でのことか? 全てを了解したうえで、とどうすれば証明できるのか?
一度考え始めると自分でも止めることは難しい。こうなった経緯には、とりわけアホやったベソ少年が人を傷つけるようなことを多数しでかしたことがあるのは当然。
痛い思いをすれば誰でも学ぶ。わしの場合、それが以上のような結論だった。
それ以来、どんな場面でも断言することが出来なくなった。これ以外の結論ってあり得る? という場合でも「今わしはこれこれこうした材料を吟味し、こういう風に考えたのでこの結論に至りました。でも検討しなかった材料、情報等が新たに開示された場合、結論を再考することもあり得ます」という含みを残したものの言い方しかできなくなった。
男らしくない、卑怯、気が弱い… 等々、自分でも厭になったし、相変わらず日々平気で断言している友人を見ると羨ましく思ったりしたが、今でも基本的に断言を避ける癖は直らない。
しかし、成人し社会に出て、その御結婚してから困った場面に出くわすようになった。そう、子育て。子供の前では全知全能の無謬人として振る舞わなければならない。特に叱る時がきつい。わしは今、こいつの理由を十分に聞き取りした上でこうして叱っているだろうか? と常に考える。やがて、子供が許してくれないような失敗をやらかすだろう。その時、子供に何て言って謝れば良いのだろう。無謬でないことが明らかになっても、子供たちはわしを父親として認めてくれるだろうか。
(もう一つ、自分が出来ないことを子供にしなさい、と言う時にすごい良心の呵責がある。けどこれは別の話)
何かわし、繊細ぶってますね。ヤな奴。
このウラログへのコメント
大人も勿論失敗する。その時は素直に子供に謝っては?子供はその姿を見て学んでくれるはず私はそうしてる
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