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光との時間。

2008年09月18日 08:57

自分自身がどこに向かっているのか、ときどき考えてしまうときがある。

何のために今、こうしてここに居るのか、とか、何を目的にいま、ここで生きているのか、と。

おそらく目的は、無い。
ただ生まれ出てきたから、生を受けたから、生きている。

写真を撮っている。
当然カメラを使う。
昨今流行りのデジタルではなく、昔乍らの銀塩写真で。


昔、フランスパリの街を大きな湿板カメラをかかえた、売れない役者志望の男がいた。名前をユジェーヌ・アジェといった。
男がかかえていたそのカメラ(暗箱)は相当に重かった。
男は早朝に起きると、すぐさま暗箱をかかえて街に出た。
来る日も来る日も、男はパリのもうじきなくなってしまいそうな町並を写した。朝の光が、美しいパリの街をよりいっそう美しく見せた。
男はその撮影した写真を紙に焼いて、パリ画家たちに売り歩いた。

それはいくらにもならなかった。
それでも、男はパリを撮り歩いた。
いつしか男の写したパリ写真は膨大なものになった。
いつしかその膨大な写真をひとりの女性写真家が発見し、世に紹介をした。
男はなりたかった役者の仕事はほとんどやれずにこの世を去った。
その代わりに、膨大な彼の目でしか写すことの出来なかった、パリの街の写真が残った。その一枚一枚にはパリという大きな舞台で確かに生きた彼の姿が、くっきりと写し出されていた。静かな一人舞台を彼は演じきった。

......

第一次世界大戦で片腕を落としてしまった男がいた。
男は名前をヨーゼフ・スデクといった。
男は片腕のまま、愛するプラハの街を次々に撮影していった。
次の戦争が勃発してしまっても、男はカメラを放さなかった。
兵役は片腕のために逃れたが、カメラを持って外を彷徨うことはスパイ行為と見なされた。仕方なしに男は、友達の家や自分の家の部屋や庭で写真を撮った。

片腕なので、男の動作は遅かった。
フィルムを詰めるときも、ゆっくりゆっくりと詰めた。
そしてここぞという光と出会えるまで、男は待った。
男は光を待つことを得意とした。
窓から差し込んでくる光の、ほんの一瞬の美しさを男は逃さず捉えた。そのゆっくりとした男の動作は、一瞬の光との会話の前のひとつの儀式みたいなものだった。

男の前に現れる光は、なぜかとても繊細で美しかった。

......

36枚撮りのロールフィルムをカメラに詰めて、ただ、あてずっぽうに歩く。そう美しくもない街を、あてもなく彷徨う。
中途半端な光と、中途半端な風景と。
淡々と過ぎて行く毎日のなかで、何かひとつでも気になった光景、風景と出会えたら。

美しさって何だろう。

ハッとできる瞬間と出合えたときのよろこびを、誰かに伝えたい。

そんな瞬間は、虚しさから少し離れられているとき。

ずっとこのまま、行くのかも知れない。

それでいいのかも知れない。

......

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