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趣味は読書、頭の中の千日回峰

2020年04月06日 03:30

若い頃、母が亡くなって一人になり、大学も留年して、最後は中退した。
まだ、留年して学生の肩書だけ持ちながら、日払いの引越しの仕事をしていた頃、時々やりきれなくなり、引越しの会社のそばにある大きな図書館へ行った。
平日の昼間にあてもなく本棚を彷徨って、適当に本を拾い読みしていたが、その頃は人生についての模索をしていたのだろう、有名人エッセイや人生論などをよく手に取った。
ある日、自分の人生がどれもうまく行かないと思っていた時、「生き仏になった落ちこぼれ」というタイトルの本を見つけた。
酒井雄栽という千日回峰という極限の修業を二回も行った阿闍梨の、ノンフィクションだった。
既にNHKで「千日回峰」の番組が放送されていて、僕はそれを見てはいなかったが、「千日回峰」という言葉は知っていた。
僕が惹かれたのは、多分落ちこぼれという部分で、その時の自分の気持ちに合ったのだ。
全てではないが、大半を図書館のソファーで読み、とても印象に残った。
結局、大学も辞め、肉体労働もキツくなって辞めて、流れるままに派遣会社で、ある物流倉庫に派遣されて働くようになったが、それも派遣先の都合で無くなった。
35歳になっていた。
失業保険が半年あったが、先はまるで見通せなかった。
僕の家からは、丹沢に入って行けた。
千日回峰のことを思い出し、暖かい日には、あてもなく山道に入り、昼食も持たずに何時間か出鱈目に山を歩いた。
すれ違う見知らぬ登山者に、おずおずと挨拶したこともある。
先は全く見えなかったが、山の中途から下界を垣間見ると、何だか気持ちが良かった。
何一つ解決していないのに、心地良かった。
命を掛けて修業することと、それが他者を救う力になるということに、僕は未だに疑問を持っている。
壮絶なことを乗り越えたのは、個人的な体験であり、他人を救える神通力を得たわけではないと今でも、僕は思ってしまう。
こんなひねくれ者の僕でさえ、あの頃は酒井雄裁に救われた。
その後の人生も大したことは無かったが、このような何かの折に、思い出している。


宗教自体は興味はないが、修業には少し興味がある。
谷口雅男という文庫本専門の古書店を立ち上げた詐欺まがいの人の自伝を一時期何度も読んで、その頃、人生に迷っていたので、いっそこの人に協力して、文庫専門古書店をやろうかと思ったことがあった。
何か思い切ったことがしたいと内心、思っていたのだろう。
勿論、実行しなかった。
彼に関わって、ひどい目にあった人は沢山いる。
冷静になって自伝なるものを読めば、他人の退職金を当てにしたり、財産目当てとも思われる異常な結婚をしたり、おかしなところは幾つもあるのだ。
その本の中で、古本屋になるために、睡眠時間を削って、本を読む件があるのだが、これも開業するまでは読書したが、開業してからは、一切読書の話が出ないのだ。
ただ、開業準備の読書の中で、「沢木興道聞き書き ある禅者の生涯」という本に感動した話があって、僕はそれに釣られてその本を読んだ。
谷口某が僕にだけ残したくれたのは、この本に出会わせてくれたこと。
あの時、谷口の本を読まなかったら、多分一生この本は読まなかっただろう。
一つの個性的で偉大な人生の存在がここにある。
酒井雄裁や沢木興道が同じ人間であるということ自体が、僕に力を与えてくれることがある。
読書も時には良いものである。

個人的に今日は特別な日なので、眠れずにきっとこのような冗漫なことを書いてしまったのだろう。

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