- 名前
- haru3dayo
- 性別
- ♂
- 年齢
- 43歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- はじめまして☆茨城に住むharu君です。 バツイチの再々登録です。 5年前と2年前に...
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俺の出生は複雑。
2019年11月29日 11:28
昨日の夜、お袋からシンガポールに住む親父が亡くなったと電話があった。
シンガポールに住む親父とは俺の2番目の親父で、今お袋と一緒に住んでいる親父とは違う。
実は、俺には親父と呼べる男が3人、お袋と呼べる女性が3人いる。
シンガポールに住む親父が亡くなり、今生きているのは福島に住む親父とお袋だけになった。
正直言って、俺が生まれてから今までの事は少し複雑。
これから書く事は、俺が東京の大学へ行って夏休みに帰省した時にお袋から聞いた話。
俺を産んだお袋は江戸時代から続く元庄屋という資産家のお嬢様だったらしい。
しかし、そのお袋が俺を産んだのは結婚して半年後で、結婚した相手はシンガポールに住んでいた親父。
そのお袋と親父はお見合い結婚で、お見合いしたのが結婚する3ヶ月前で、その当時からシンガポールの親父は手が早いと有名だったらしい。
しかし俺を産んだお袋は、俺を産んで半年後に高熱を発して亡くなった。
するとシンガポールの親父は喪が開けた1年後に社長令嬢を嫁に貰った。
その社長令嬢が俺の2番目のお袋。
その2番目のお袋は厳しく育てられた為か俺にも厳しかった。
小学校から帰って来ると直ぐに宿題をさせられ終わらないと遊びにも行かして貰えなかった。
そして夕飯前に予習を済ませないと夕飯を食べさせて貰えなかった。
しかしそれ以外は放置主義で、俺は予習復習のコツを掴むと自由な時間が沢山出来て結構好き勝手に出来た。
またシンガポールの親父は結構なお金を家に入れていたみたいだった。
俺のシンガポールの親父に対するイメージはモテ男で、お袋以外にも何人もの女性が居た。
2番目のお袋はそんな親父が大好きで奥さんにして貰ったみたいで、親父に関しては何も文句を言わなかった。
そんな2番目のお袋も、俺が小学5年の冬に交通事故で亡くなった。
すると、シンガポールの親父は喪が開けた1年後に福島にいる今のお袋を嫁に貰った。
今のお袋は俺には厳しくなかった。
そのせいもあってか、俺は中学2年で女を知り、知り合った女性から色々教わるようになった。
そして俺が東京の大学に入学すると、シンガポールの親父は、俺の役目は終わった…と言って財産を全てお袋に譲り離婚して行方をくらました。
大学1年の夏に帰省して、親父が中々帰って来なかったので、親父はいつ帰って来るの?とお袋に聞いた時、4月に離婚したわよ…言わなかった?とお袋に言われて驚いた記憶がある。
そしてお袋から聞かされた事は驚きの連続だった。
衝撃だったのが、シンガポールの親父には子種が無かったこと。
じゃあどうして俺が生まれたかというと、俺を産んだお袋に種付けしたのはシンガポールの親父の親父。
つまり俺のお爺ちゃん。
当時、親父の親父は70歳近い年齢で、そんなことを疑う人は誰も居なかったらしい。
70歳近いのに結構羽振りも良く、面倒をみている女性が数人居たらしい。
そして福島のお袋とシンガポールの親父が離婚した本当の理由は、福島のお袋が子供を欲しかったから。
その話は、福島のお袋が離婚して一年後に今の親父とデキ婚し、俺の妹が産まれた時にお袋から聞いた。
なので、今の18歳離れている妹と俺は全然血が繋がっていない。
今の親父は銀行マンで、もの凄く真面目で、それで居て優しい。
妹は去年親父と同じ銀行に勤める男と結婚して、来年の春に子供が生まれる。
親父とお袋には、財産は全て妹にあげるように遺言書を書かせてある。
俺が相続を拒否しても良いのだけど、俺が突然死んだ時に複雑にならないように遺言書を書かせた。
そしてもっと驚いたことが、カナエ叔母さんがシンガポールの親父を知っていたこと。
詳しく聞こうとしたら、カナエ叔母さんはモジモジして、haruさんは知らない方が良いわ…と言ったことから、カナエ叔母さんはシンガポールの親父とも男女の関係があったのかも知れない。
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