- 名前
- 松田文学男爵
- 性別
- ♂
- 年齢
- 60歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 僕はアンドロイドなんだ。 アンドロイドだって夢は見る。 でも、それはキミたちのように...
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あるということ
2017年02月07日 14:49
我輩は猫である。
私は~である。
人はこうやってアイデンティティを確立していくわけだけど、
私は~である
の裏側には
私は~でない。
が必ず対になっている。
つまり、私が自我を確立すればするほど私は「ない」=「無」に取り囲まれていく。
こうして人は「私」を持つと同時に「虚無」に取り囲まれる。
これが人間が孤独を感じる理由。
このジレンマはどうしようもないのかというとそうでもない。
「ある」という動詞には二種類あって
私は~である
という使い方の他に
私がある
という使い方がある。
この違いは大きくて、
私は~である、の前提として、私がある
つまり、私の性質を規定する(私の定義)以前に単純に私が存在するという事実がある。
私がある、ということには他を否定する要素がない。
純粋に私が存在するだけだ。
私が存在する。あなたが存在する。
否定するよりむしろ私もあなたも同じように存在する。
ここには無がない。
そして、あるものはあるのであるから、存在する私は常にある。
生きているとか死んでいるという変化を超えて私は存在する。
このデジログへのコメント
佳いですねー
一言言わせてもらうと
改行による強調効果は期待できません。
スクロールに手間がかかるだけで、「水で薄めた」感じになります。
その証拠に
一行ログの方がインパクトがあったりするわけです
> RyuTaさん
ゆっくり読んで考える時間を、それと、ほんとはラテン語で考えてる部分があるのでスペースあけてるんですよー
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