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3丁目の夕日

2012年01月31日 10:45

映画は見てない、見なくてもわかる。

オレの20代のときこの漫画よく読んだ、たぶん、西岸良平だと思う。

昭和30年代のハナシで、50年前でオレがまだ洟垂れ小僧のときだ。

この頃が月光仮面チャンバラ、スモウ、カンケリ、道ばたで遊んでいた。クルマなんぞ通らない、ないからだ。通るのは自転車リヤカーくらいかな。知ってるか、リヤカー月光仮面。うんで、木の電信柱

この頃は高度成長時代以前の世界が残っている。日本の高度成長とはブルドーザーで強引に近代日本に作り替えていいたときだ。今の中国がそれだ。

言ってみれば、モノがない時代だな、モノがない代わりに心があったとも言えよう。

日本は開闢以来、モノがなかった、代わりに心だけはふんだんにあった、カネがかからないからだ。それが高度成長というブルドーザーで日本を作り替え、モノが溢れ出すようにしてしまった。産業革命といっていい。明治以来の産業革命都市部大都市を中心に敗戦まで終了したが、高度経済成長で日本全国津津裏、地方のどんなところまで産業革命が及んだってコトだ。

モノが余りあるほどになったが、今度は心がなくなった。モノが溢れれば心がなくなるのは当然だ。モノがなければ心が寄り合わなければ生存できないからだし、溢れれば寄り合わなくてもすむ。自分勝手に生きられるということになる。

高度成長の大産業革命以後、モノが溢れ出してから、日本人全部は好き勝手になった。

うんで、まだ心があった昭和30年代が日本人ノスタルジアになる。

モノがないとは、あなたは知らないだろうが、心が凶器になるということでもある。

わからないだろう、心が凶器
妬みそねみ、ウラギリ、ドロボー、サベツ、イジメ

こういうことがモノがないと必然的に発生する。生存するにはモノが必要だ、しかし、全部に行き渡らない。

3丁目の夕日にはこんなことはない、しかし、裏ではあるのだ。

心の凶器はモノが溢れている時代、どんな時代でもある、心の裏の部分だからな。

タダ、モノがない時代は心が溢れているだけに、この凶器はその分だけ増幅するのだ。地方農家の姑の嫁イジメのように陰湿にな。
そう、モノのない時代の心の凶器は陰湿になる。陰湿なイジメになるのだ。

今で言うセクハラみたいなものか。

であるから、開闢以来続いた物不足が、日本人の陰湿なイジメが原風景となった。象徴的なのが旧軍隊のイジメだろう。

3丁目の夕日はほのぼのとして昭和30年代のノスタルジアに憧憬がある。心があるからだ。

しかし、反面、オレは心は凶器であることも知っている。

なぜなら、オレは3丁目の夕日の当事者だからだ。


オイ、あなたの愛情の裏にどんな凶器が隠れているか、ごぞんじか?

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