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恵方巻きとは?
2011年02月02日 23:42
恵方巻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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恵方巻恵方巻、恵方巻き(えほうまき)は、節分に食べると縁起が良いとされる太巻き、またはそれを食べる大阪を中心とした風習。別称として「丸かぶり寿司」「恵方寿司」「招福巻」「幸運巻」「開運巻き寿司」などと表現されることもある。商業的催事として、これを利用した関係業界の販売促進活動・関連商品・商戦が20世紀後半から活性化している。
概要
節分の日は暦の上で春を迎える立春の前日にあたるので、一年の災いを払うための厄落としとして「豆まき」が行事として行われているが、同日にこの「恵方巻」を食べる場合がある。
恵方巻は、節分の夜にその年の恵方に向かって目を閉じて一言も喋らず、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされている。商売繁盛や無病息災を願って、七福神に因み、かんぴょう、キュウリ、シイタケ、だし巻、うなぎ、でんぶなどの7種類の具を入れることで、福を巻き込む意味があるとする説もある。
恵方巻が活発化したきっかけは、後述のように関係業界の販売促進活動である。2000年代以降には、形が恵方巻に類似する円柱状の食べ物、ロールケーキなどの各種商品においても販売促進活動が見られる。
認知度
恵方巻の認知度は、ミツカンの調査によると、全国平均は2002年(平成14年)時点で53%だったが、2006年(平成18年)には92.5%となった。
実施度
「実際に食べた」と答えた人の全国平均は2006年(平成18年)の時点で54.9%となったが地方差がある(後述)[5][6]。マイボイスコムの調査でも、「認知度」と「食べた経験」に関して増加傾向となっている。
しかし、「実際に恵方巻を食べるか」については地域差があり、2008年12月後半にアイシェアが行った調査では、関西・中国・四国にて「実際に食べる」が半数以上占めたのに対し、関東では「6割が食べない」などの結果が出ている。
沿革
起源・発祥
恵方巻の起源・発祥は諸説存在し、信憑性も定かではない。
江戸時代末期から明治時代初期において、大阪の商人(「船場の商人」とする資料も存在するによる商売繁盛の祈願事として始まったという説。起因として「厄落とし・縁起担ぎ」「船場にある階段の中段で女性が太巻きを丸かじりして願い事をした」「船場の旦那衆の遊び」が挙げられている。
豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が偶々節分の前日に海苔巻きのような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説(ただし、板海苔の誕生は江戸時代であることから、この説の根拠の乏しさが指摘されている)。
和歌山県(旧紀伊国)説。
滋賀県(旧近江国)説。
栃木県下都賀郡壬生町にある磐裂根裂神社の節分祭が発祥の説。同神社では、節分祭の参列者に振る舞われる「夢福巻き寿司」という太巻きがあり、宮司が神事を執り行った後、拝殿内で太さ約5cm、長さ約20cmの太巻きを配り、太鼓の合図とともに、全員が今年の恵方を向いてその太巻きずしを丸かぶりする。太巻きを鬼の金棒に見立てて「邪気を祓う」という意味があり、さらに、切らずに長いまま太巻きを食べることで「縁を切らない」、「福を巻く」という意味も含まれ、祓鬼来福の祈念を行うものとされる。境内には風水の方位盤の上に建つ「福巻寿司発祥の地」の石碑がある。
などがあるが、いずれも不確かである。
大正時代 -戦前
大正時代初期に大阪の花街で、節分の時期に新香巻を恵方に向かって食べる流行があった。
1932年(昭和7年)、大阪鮓商組合が「節分の丸かぶり寿司」に関するチラシを配布。
1940年(昭和15年)、大阪鮓商組合後援会にて「節分の丸かぶり寿司」に関するチラシを発行(当時の価格は1本20銭)。
戦後の大阪における展開
戦後に一旦廃れたが、土用の丑の日に鰻を食べる習慣に対抗する販売促進手段として、1949年(昭和24年)に大阪鮓商組合が戦前に行われていた「節分の丸かぶり寿司」風習の復活を決定。
1955年(昭和30年)頃、「元祖たこ昌」代表取締役・山路昌彦が当時行っていた海苔販売の促進活動の一環として恵方巻を考案。
1973年(昭和48年)から大阪海苔問屋協同組合が作製したポスターを寿司屋が共同で店頭に貼り出し、海苔を使用する太巻きを「幸運巻ずし」として販促キャンペーンが展開された。1974年(昭和49年)には大阪市で海苔店経営者らがオイルショック後の海苔の需要拡大を狙いとして節分のイベントで「巻き寿司早食い競争」をはじめたこと、1977年(昭和52年)に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事、そのイベント「巻き寿司早食い競争」がマスコミに取り上げられたこと、関西厚焼工業組合も同時期頃に宣伝活動を開始したこと、などが契機となって、徐々に知名度が上がっていった。
日本各地における販売促進
大手販売店で販売されている恵方巻商業的に売り上げの落ちる1月後半から2月初旬の販売イベントとして、主にコンビニエンスストアを中心とし、スーパーマーケットなどの店舗において各地で展開。ファミリーマートが先駆けであり、1983年(昭和58年)に大阪府と兵庫県で販売が開始された。道頓堀で行われた販売促進イベントがマスコミに取り上げられて関西に広がった。
関西厚焼工業組合の宣伝活動は広範囲で行われ、1987年(昭和62年)頃には「幸運巻ずし」の宣伝ビラが関西地方以外にも九州地方や岐阜市・浜松市・新潟市などの各都市に向けて送付された。
全国への普及はセブン-イレブンによるもの。1989年(平成元年)に広島市のセブン-イレブンが販売を開始し、翌年より販売エリアを広げ、1995年(平成7年)から西日本に販売エリアを拡大、1998年(平成10年)に全国展開をしたことで急速に普及した。
その後は全国のコンビニで販売促進キャンペーンが行われている。
スーパーマーケットでは、ダイエーが関西地方において1980年代頃には販売を行っており、関東地方の一部地域では1990年代前半から販売開始、ジャスコでは1992年(平成4年)から全国同時に販売を開始、などのように同小売業態でも宣伝活動が行われるようになった。
そうです。
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