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我が庵は都の辰巳しかぞ住む 世を宇治山と人はいふなり
2009年07月25日 20:58
ふと浮かんだこの歌。意味を調べると以下のサイトに行き当たりました。まったく便利な世の中・・・
(以下、http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/008.htmlより転載)
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【今回の歌】
わが庵(いほ)は 都のたつみ しかぞすむ
世をうぢ山と 人はいふなり
喜撰法師(8番) 『古今集』雑下・983
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毎日忙しく働いているビジネスマンや、休みがない家庭の主婦 などなど、世の中不況だというのに日々に追われてなかなか満ち 足りた気分など味わえないもの。
いっそ山奥で隠遁生活でも送れたら、なんて思ってるかもしれませんね。
そこで今回は、山奥に隠棲したお坊さんが忙しい都の人々をちょっと皮肉に歌った歌を紹介しましょう。
■□■ 現代語訳 ■□■
私の庵は都の東南にあって、このように(平穏に)暮らしているというのに、世を憂いて逃れ住んでいる宇治(憂し)山だと、世の人は言っているようだ。
■□■ ことば ■□■
【わが庵は】
自分の住む庵(いおり)のことです。
【たつみ】
東南の方向。昔は方角を十二支で表しました。東南は辰(たつ)と巳(み)の方角の中間にあたるのでこう呼ばれます。
【しかぞすむ】
「しか(然)」は、「このように(心静かに)」の意味です。一説には、山奥なので「鹿」に掛けたとも言われます。
【世をうぢ山と】
「うぢ」は「宇治」(現在の京都府宇治市)と「憂し」の掛詞となっています。「憂し」は、「つらい」とか「情けない」などの意味です。
【人はいふなり】
「人」は、世間一般の人のこと。「は」には、自分はそう思ってはいないけど、という意味が込められています。
■□■ 作者 ■□■
喜撰法師(きせんほうし。9世紀後半)
六歌仙の一人。宇治山の僧という他は経歴不明。ただ、口べただったようで、古今集の仮名序の中で紀貫之が「宇治山の僧喜撰は、言葉かすかにして、初め終りたしかならず。いはば、秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし」と人となりを語っています。
ちなみに「六歌仙」とは、平安時代初めの和歌の名手たちを6人選んだもので、在原業平、僧正遷昭、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀、小野小町のことを言います。
■□■ 鑑賞 ■□■
とかく世フ中の人というのは、他人が自分と違う暮らしをしていると「何かあの人は変わっている」とか「何か辛いことでもあったんじゃないだろうか」と思いがちなものです。ワイドショーなどを見ているとよく分かりますが、芸能人や文化人などにスキャンダルを期待する好奇心というのは昔も今も変わらないのかもしれませんね。
◆◇◆
世間の人は、都から離れて宇治山に暮らしている私を評して、「あの人は憂し(宇治)、つまり世の中をうとましく思ってここに隠棲しているんだよ」と言う。しかし私自身は、平穏無事に心のどかに暮らしているんだよ。
喜撰法師はこのような心持ちを表現したくて、こんな歌を作ったようです。「やれやれ、人の噂とはしょうがないものだ」と、苦笑している法師の声が聞こえてくるような歌です。
ここには、ぽかんと明るく飄々とした雰囲気があり、喜撰法師のこだわりのない人柄を想像させるものがありますね。
◆◇◆
(転載終わり)
宇治は今日でも京都の喧騒とはまったく違う雰囲気を持ち、9世紀後半という時代であったならば尚更そうであったのは間違いないところ。隠遁生活を思わせる土地だったことは想像に難くない・・・
いや、別に今日のわしが隠遁生活を送りたい、と思っているわけじゃないんですがね。
明日からまた出張のベソでした。
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