- 名前
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- 主にログ交流を愉しんでます♪ 読むのも書くのも大好きなので 気になったログには フレ...
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山へ登りましょう お兄さん (1)
2009年04月04日 23:55
「山へ登りましょう お兄さん」
とは
当然 「森へゆきましょう 娘さん」
と対をなしているのは 判っていますよね?
え? 意味わからないって?
困りましたね~
小学校から やり直さないと
そりゃまずいですよ~
そういえば 私は
小二年の春に テストの回答について 問題児とされてしまった事がありました
「高い」⇔「 」
「寒い」⇔「 」
といった感じの問題が10個くらい出ていて
「高い」⇔「高くない」
「寒い」⇔「寒くない」
といった具合で どんどん埋めたところ
虫が大嫌いで
それを教室にセッセと運ぶ私を恐れていた原田先生は
「バカにしているのですか!」と 大声で怒鳴りました
でも
問題には
「はんたいのことを かきなさい」
ってあったんですよね~
対義語とか 反対語とか 書いてくれたら
違う言葉にした筈なのに
未だもって 何が悪かったのか 納得いかないのでありました・・・
さて 山というもの
この時代にあっても 女人禁制の掟が解けたのが最近 という霊山も
多数 あると聞く
山には 古来から魂が集まるとされ
魂の抜け落ちてしまった 殻
つまりは 人間の遺体を葬る場としても 崇められていた
ほふる場
山寺という背景には 元もと住職でもない荒くれ物や 下手すれば
精霊の力を借りた獣が 人間と化して
墓や卒塔婆を守っていたとの説もある
どんな悪党でも 死人には敬意を払うもので
そのような 霊験あらたかな場においては
負の能力を発せないとも言われる
―ある程度 山の高きに身をおけば 人間は悪事を働けなくなるー
そんな言葉にも 頷ける気になってくる
うちは 母の一家が 山キチで
自然豊かな土地のこと 少し歩けば それなりの山につきあたる
路を無視して 敢えて 岩肌を登り
兄弟・友人 入り乱れて
海に 山に 谷で 崖を好んで(笑)毎日 ほっつき歩いていたそうだ
兄に二年遅れ 私が就学後すぐに 母はリュックを求め
長期休みに入ると ワンシーズンに最低三回は 私らを山へ連れていった
車どころか 父は免許も習得していない中
急行バスで 山の麓に降り立ち
登山道 俗にいう登山口までの道を 一合目から 私たちは 歩いてゆく
通常 登山は車などの交通手段を使い 五合目から始まるものだが
我が家は違っていた
いつかの秋 兄の血豆が破裂し 痛い痛いと 引きずる足をみて
五合目にも達せず 戻ったこともあった
その後 母も無理を感じたのか 成長して体力もついた私たちなのに
登山口まで バスで向かう事に方針を替えた
というのも 一合目から登ると 日帰りの日程では
到底 頂上はおろか七合目到達が関の山だったので
五合目から 毎回頂上に到った方が得策だと 考えたらしい
それは 私たちにも喜ばしいことだった
だんだら坂 車のための道を登る辛さは
身体のきつさからよりも 越してゆく車内の人たちの目から
発せられていた
そんな幼少からの経験もあれば
だまし討ちにあったようなきっかけであれど
私がワンゲル部に入ったときには 彼女は喜んで 山用品を送って寄越した
どれも新品ではないというレベルでなく 当時より 山向けの製品は進んでおり
残念ながら 一つも使えなかった、、、、
学校に備えてあったドイツ製の蒸れないシュラフ 雨を弾くフライ
効率的な道具の進歩は 目を見張るものがあった
帰省のたび カタログやパンフを見せると 羨ましいと聞き入っていた
そんな中 一人
球技が専門であり 持久が苦手だった体育教師の父
受け持っていた部活の関係もあるが
一度も山登りに同行したことはなかった父が
その鳥海山に 一家で一番 登る羽目になろうとは 誰も思わなかったもの
あるときから 日曜・祝日 目覚めると 父はいつも居なくなっていた
理由を聞くと 母は
「ちょっと学校の方が忙しいのよ・・」
と
確かに掛け持ちのクラブの面倒も 自身のバスケ・野球もあり
いつでも 暇はないようだったが
いつもはそれなりに 休みには時間を作ってくれていた父が
あるときから 忽然と姿を消した
いつ戻ったのかも判らないうち 月曜には 眠そうな疲れた顔で
「おはよう!」
と 私たちにご飯を促している
学校の官舎に住んでいたので 同じように 他の三軒宅のお父さんも
同時期から 居なくなっていた
毎週毎週あまりに理不尽なので あるとき 母に問い詰めたところ
「父さんはね あ 雅子ちゃんのお父さんも 裕子ちゃんのとこも
皆 鳥海山に行っているんだよ
先月 鹿角(県北の地です)の先生が遭難してね。。
捜索隊は打ち切ったけれど 有志で探すことになっているの」
その美術教師は
他県から一家で 移り住んできて
ハイキングのような山だ。。と 言いながら 出羽富士を気に入り
ルートを替え 二つある登山口を交互に選び
暇があれば 土曜の夜から 五合目で車内に寝泊り
夜明けとともに ゆっくり一人で登るのを 趣味としていたとの事
冬山でもなく 嵐もなかった 天災を考えにくい平凡な山で
いつものように 出かけた筈が
彼は 帰っては来なかった
食料は 奥さんが前日握った梅入り塩むすびが数個 水筒にはお茶
チョコ一枚と 林檎 サクマのドロップ
これらの情報は
数年たってから 物考えるくらいに大きくなった私が
彼に捧げる追悼紙を読んで得たものである
当時の父の不在を 痛いくらい憶えていたので
居間に無造作に置かれていた冊子を
貪るように 何度も読み返したものだった...
莫大な費用のかかる捜索隊を打ち切っても
県教連は毎週のように 午前5時に集合をかけた
もう 生還が望めなくても
何か 彼を感じるものがないか
どこかに足跡がないだろうか と
雅子ちゃんのお父さんも 裕子ちゃんのお父さんも
日曜にみかけるようになっても 父は依然 居なかった
最期は有志 本当の意味での希望者だけで
徒労に終わる暗い足取りを 何度も繰りかえしたそうだ
奥さんは 毎回 五合目で 登りへ入るメンバーに手を合わせる
「すみません。。。よろしくお願いします・・・・」
私より3つ下の女の子の手をひき
どんな思いで早朝の 青く輝く鳥海山 別名とりみやま を見ていたのだろう
http://static.flickr.com/3604/3411992446_3c915521cf_o.jpg
あるとき
トップリ暮れた 五合目に下山した一向に
奥さんが静かに寄ってきたそうだ
「済みませんでした。
、、、申し訳ありません。
もう。。もう いいです。
もう 止めてください。
あの人は 帰りません。
もう。。。いいんですっ!」
そういって 泣き崩れた。。。と
その日 直接 その姿を目にした ある先生の追悼ページに書かれていた
父も 最終日までメンバーだった筈
家では 一度たりとも話してくれなかったが
オーバーハングの陰の穴地
雪渓 万年雪の場
鬱蒼とした草の海
クレバスのひずみ
居てくれ!
姿を現してくれ!
いや ここで見つけたら 絶望だ。。。
でも。。。ピッケルだけでも 見つかったなら。。。。
あの子に
奥さんへの
形見として。。。。
種々の想いで 楽しめない登山を繰りかえした初秋
数年たってから
その思いや 彼への無念さを 追悼紙として刊行した人もまた
日本アルプスを闊歩している山男だと 聞いた
後づけのような よくある話しだが
美術教師は その土曜日の午後
「行って来ます」ではなく
「さようなら。。。」と 笑って玄関を後にしたと
実しやかな 怪談話しを聞いたときには
興味本位に話す人に対して 憤りを感じる私がいた
誰しも 信じていたことは
何か不慮の出来事に襲われたのだ
待ち人のため 彼も必死で帰りたかった筈だと。。。。
その瞬間まで 家を 愛する者を思い浮かべていたのだと。。。
だから
見ず知らずの人のためでも 男たちは 毎週 軌跡を辿った
それが 背負ったものを知る 男性の勤めなのだと。。。
許さない
絶対に 想ってもあげない
山に 心を勝手に残し
せめてもの言い訳に
風に乗って 耳元で
「ごめんね。。。」
なんて 囁きにきても
絶対 ぜったいに 許してあげない・・・・・
いつか 山で 俺が死んだら。。。。
だって?
帰さない山に登るのならば 行かせなかった
行くからには 笑顔で 帰ってくるのが決まりごと
うそつき
うそつき
うそつき。。。。
憎しみで 全てを終わらせないで。。。。
許さないから
どんな姿になろうとも 帰ってこない人なんか 思い出してもあげられない。。。
私を残した人なんて 思い出にもしてあげない。。。。
-グリーンスリーズスー
山の映像が 締め付けられるほど。。美しいです
https://www.youtube.com/watch?v=P5ItNxpwChE
(1)とあるということは。。。?
この長さにして 無謀にも、、、続く。。。。
このデジログへのコメント
反対なら
「高い」→「い高」
「寒い」→「い寒」
でも 反対ですね(笑)
虫を教室にセッセと運んで何してたの?
先生にとってはどっちも嫌がらせに思えたんですねぇ~(笑)
低山だけど一時期登ってました
山頂で、ホッ
下山して、ホッ
しんどいのに何故登るのでしょうね
このログを読んだ後にグリーンスリーズスの曲の内容とこの山々の
美しさと怖さを感じます。。。
植村さんも帰って来なかった。山は登ってる最中は絶対もう山登りやらないと誓い、日常に戻ると恋焦がれる!
続きは 森へ…かな (^^)
その 美術教師はそのままなん?
子ども達の対義語にはいつも笑わせてもらってます。
いろんな想いを胸に、山を見てるのですね…
> KEIさん
へへへ突っ込んでもいい?
そりゃ「反対から書きなさい」や~(*^。^*)
とか 屁理屈言うから 駄目なんだよね
日本語は 難解で ときどき 大きな勘違いしちゃう(笑)
> ピロすけさん
冬山 未踏の山 危険だらけを承知で
登るんだもんね
悲報を聞くのは 哀しいものです
でも 言われる通り
それ以上の魅了する物があるから 足も心も向かうのね。。
> ミっキーさん
嫌がらせでないよ~(笑)私は先生が好きだったの
だから輝く玉虫やさなぎを作る愛しい芋虫を 一緒に
可愛いと喜んで欲しかったんだ
愛は伝わらなかった ショボン(T_T)
> ぴぴさん
同感です
何故 自分はだるい足を動かして ここに来てしまったのか
後悔しながらも また 山へと準備を重ねる
登られた経験のある方は 皆 同じ衝動を胸に置いた事がありそうです
> noaさん
壮絶なまでの美しさ
海に湖にみる眩しい光景とは 何処かしら違うのは
私が勝手に聖なる存在に崇めているからでしょうか。。
そう 怖いと感じてました
まだ続くとは呆れる?
> nekoyanさん
そうだね
さようならは「左様ならば」 これからも続く言葉であって欲しい
だから 私は縁起かつぎ
朝に爪を切ったり 一杯茶は
避けるようしています。。。
> てつやさん
私は頂上で 甘い紅茶を回し呑みするために。。
てつやさんは 足を奪われても 這い蹲っても
愛しさの元へ 戻ってね
私には 耳元で囁かないでよ
「キャハハハ」なんて
> やじろべいさん
貴方も山男でしたか~
そう 何故自らを苦しみに追いやるのかと 登りながら泣けてきて
シャワーを浴びて 荷物を片付けると
また 風に中りたくなる
山がそこにあるから
> 赤ワインさん
森か~ そっちにゆけば変りもんの私は
行ってはいけない ほったて小屋にフラフラ^^;
集団行動に向かない娘さんです(笑)
その先生は 遺品すら見つかっていません。。
> 奈津さん
昔は 私も邪気のない 可愛い子だった
と デジには書いておこう(^^)v
山の話しだったら 100までもいけたりして(冗談)
本格的な登山でないけれど 今尚 感慨あり
> さやかさん
そう そう感じます
4月の終わり 5月の頭 魔女の祭りが行われるワルプルギス
まさにルナの魔力の下で
オペラの迫力にも負けず
精霊や魔や何かしら説明できないものが蠢く♪
> りんさん
否定を肯定したり また逆に演じたり
そうね 得意の言葉遊び(^.^)
貴女の綺麗な韻踏みのログに
楽しい著し方で 魅了して
私は存在しない?
いえ ここに..
山登りは人生に似てる初めから100%の力では絶対登れん…初めは慣らし運転急所に来たらお休みしなければ
> やじろべいさん
いま 私がナイフエッジに遭遇し 行くも戻るも難解大冒険(笑)
マラソンより 私も 人生を山に例える方が身近に思えます
ありえない場所で お休みして昼寝していいかな~(笑)
人は山に魅せられてその山に登り、そしてその山に魅入られてしまったときに帰らぬ人となるのでしょうか…
> 鞍馬 由岐さん
傾倒すぎて また愛されすぎると何かが起こってしまうような
暗な事件 確かにありますね
好きな場で眠るのなら。。と最後は諦めるしかないのでしょうが
男は戻ってこそ オトコ
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