- 名前
- 京介
- 性別
- ♂
- 年齢
- 72歳
- 住所
- 神奈川
- 自己紹介
- 青森生まれで京都育ち。 今は横浜です。 スキーとスノーボードの先生もしていました。 ...
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「生きるため」
2009年03月27日 10:03
枚方市の服部道子さんは、57歳で私と同世代
関西大学の文学部を今月4年間で卒業しました
「学びが元気のもと」と通い続け、生と死を見つめた卒業論文を仕上げた
4月から大学院に進むそうです
中高年で大学を卒業する人は大勢居ます
何故、服部さんがニュースになるか?
難病を患い9年前に「余命5年」と告げられた
キャンパスから救急車で病院に運ばれたこともあった
河田悌一学長は祝辞で服部さんに触れた
「心からお祝いし、さらなるご努力を祈りたい。卒業生の皆さんも人生いろいろあったとき、服部さんのことを思い出して心を引き締めてほしい」と話した
難病の原発性肺高血圧症、肝硬変、髄膜腫を患い余命宣告されたのは2000年春
主治医は服部さんに「5年くらいかな」と言ったが、夫には「長くて3年」と伝えた
人生が残り少ないと覚悟したとき、思い立ったのは父の病気と家計への気兼ねであきらめた高校進学
通信制高校に入り、05年に関大文学部をAO入試で受験
面接で志望理由を聞かれ、「生きるため」と答えた
週3~4日、呼吸を助ける酸素ボンベを引いて、構内の坂をゆっくり上り教室に通った
通学の日も家族の食事づくりは怠らなかった
苦労したのは語学で英語や朝鮮語の辞書をひいて予習して授業に臨んだが、年齢による記憶力の壁を感じた
「ふつうの学生」としてゼミの飲み会にも参加した
病気の進行は止まったかにみえたが、3年生の後半から不整脈が目立ち始める
07年10月には授業中に発作が起き、救急車で運ばれた
卒論づくりに入っていた08年12月には、不整脈を抑える緊急手術を受けた
卒論のタイトルは「生と死の間」
脳膜炎、肝炎、肺結核と幼いころからずっと病気に襲われ、まさに生死のはざまで卒論に取り組む
そして、フィリピンや中国での戦争と、炭鉱の仕事で患ったじん肺で死に直面し、今の自分と同じ57歳で亡くなった父
人生をたどりながら「なぜ私は死なないのか」と自問
「ほとばしる魂」があるからだという答えを導いた
春からは大学院に進み、生命倫理について研究する
次は、父の死後じん肺訴訟の原告団の副団長になり、炭鉱会社と闘った母の生きざまを題材に、生きることの意味を探りたいという
何もコメントが出来ません
私も服部さんの様に、口だけでなく行動を伴う逞しい人間になりたい
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ブログの方にも来て下さい
http://kyoka55.blog102.fc2.com/blog-entry-2.html
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このデジログへのコメント
ななさん、そうですね
でもなかなか難しい
日々の仕事や生活に追われて、誰も余裕がありません
特に最近はそうでは無いでしょうか?
お互いに、少しでも服部さんに近づきましょう
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