- 名前
- 美樹
- 性別
- ♀
- 年齢
- 39歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 多忙な日々を送ってる会社員です。女性が多い職場なので男性と知り合うきっかけもなかなか...
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茅ヶ崎に生まれ・・・・
2009年01月14日 15:40
父馬の子と生まれた悲哀(かなしみ)を、しみじみと知り初(そ)めたのはいつからであったろう。
一日(ひとひ)一日と限りなき喜悦(よろこび)に満ちた世界に近づいて行くのだと、未来を待った少女の若々しい心も、時の進行(すすみ)につれていつかしら、何気なく過ぎて来た帰らぬ昨日(きのう)に、身も魂も投げ出して追憶の甘き愁(うれ)いに耽(ふけ)りたいというはかない慰藉(なぐさめ)を弄(もてあそ)ぶようになってから、私は私にいつもこう尋ねるのであった。
山の手の高台もやがて尽きようというだらだら坂をちょうど登りきった角屋敷の黒門の中に生まれた私は、幼(いとけな)き日の自分をその黒門と切り離して想(おも)い起すことは出来ない。私の家を終りとして丘の上は屋敷門の薄暗い底には何物か潜んでいるように、牢獄(ひとや)のような大きな構造(かまえ)の家が厳(いか)めしい塀(へい)を連ねて、どこの家でも広く取り囲んだ庭には欝蒼(うっそう)と茂った樹木の間に春は梅、桜、桃、李(すもも)が咲き揃(そろ)って、風の吹く日にはどこの家の梢(こずえ)から散るのか見も知らぬいろいろの花が庭に散り敷いた。そればかりではない、もう二十年も前にその丘を去った私の幼い心にも深く沁(し)み込んで忘れられないのは、寂然(ひっそり)した屋敷屋敷から、花のころ月の宵(よい)などには申し合わせたように単調な懶(ものう)い、古びた琴の音が洩(も)れ聞えて淋(さび)しい涙を誘うのであった。私はこうした丘の上に生まれた。静寂(しずか)な重苦しい陰欝なこの丘の端(はず)れから狭いだらだら坂を下ると、カラリと四囲(あたり)の空気は変ってせせこましい、軒の低い家ばかりの場末の町が帯のように繁華な下町の真中へと続いていた。
・・・と水上滝太郎風の文章で始まりましたが、今宵も楽しい残業だったりします(笑)。
子供の頃は学業に関しては真面目に取り組んだ事の無かった私なんですが、運動会では何故かリレーの選手なんかに選ばれました。
足は父馬譲りに速くて、運動神経が良かったので運動会では大概の競技で1等か悪くて2等でしたね。
ただこの足の速さは日常的には悪い方にばかり使われてしまって(笑)母馬が習い事をさせようとすると速い逃げ足で脱走してしまうのでどんな習い事も長続きしませんでした(笑)。
例外的に水泳教室だけは長続きしたんですが、帰りに姉馬と一緒に食べる焼きそばが美味しかったし(笑)、元々が泳いだりするのが好きだったからなんですね。
母馬は私があまりに息子のような趣味ばかり持つので(笑)少しは女の子らしくしようと華道を習わせようとしたのですがその日の内にいなくなり後から母馬に大変怒られました(笑)。
運動会ですが、何時もなら競馬場に行く父馬が毎回応援に来てたのを憶えてますね。私が1等になったら大変喜んじゃって『美樹!さすが俺の娘だ!』なんて言ってねえ(笑)。
まあ努力しないのが私の主義でして(笑)中学では陸上部に勧誘されたんですが、練習がきつそうなので入りませんでした(笑)。
今日は運動会の画像です。
このデジログへのコメント
真樹さんも登場してきてチェックが入って大変だね。運動神経抜群なんだ。良い事だよね!
美樹は運動会では活躍したからね。妹が一着になると私も嬉しかったのを憶えてるよ。
> まっくさん
運動神経が良かっただけでその後何も努力しなかったから大成しなかったんですね(笑)。父馬からは脳天気さも受け継いだみたいで・・・
> アンナさん
アンナちゃんも運動神経良さそうだよね。だけど私はバスケ部とかで頑張れなかったからアンナちゃんの方が上だよね(笑)。
> 真樹さん
お姉ちゃんは子供の頃は運動とかあまり出来なかったからね。本当は運動神経良かったのにね。
> トモさん
父馬はどういう訳か走ってる私よりか熱くなっていた、と母馬が後で教えてくれました(笑)。
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