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- コミンテルンが我が国の歴史を狂わせた。中学校の歴史授業でゾルゲ事件を教えるべし。 我...
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雄性の宿命 (記憶の彼方の夏の埋葬からの雑考なんちゃって)
2008年10月07日 05:20
昨晩、息子と鶏の話をしていて突然、彼方の記憶が蘇った。あれは自分が未だ小学校に入ったばかりの頃。町で小さなお祭りがあり、夜店で私は親に、ひよこを買ってもらったことがあった。ひよこ。お菓子ではなく、生きたひよこだ。小さな籠に入れてもらい連れ帰ったと思うが、家に帰った時は籠の中でピヨピヨと鳴き元気だった。二羽。体を寄せ合うようにして籠に入っている。目を突付かれないようにしなさい、と親に言われたので正面から顔を近づけはしなかったが、頬を寄せたり、掌に載せたりしてその温かい羽毛の感触を存分に味わった。ひよこ達は柔らかく、華奢で、黒々した目をして確かに生きて存在していた。自分が寝る時間になり、家にあったプラスチックの箱に入れて上から防寒のつもりでティッシュをかけてやり(この辺りが子供の浅知恵)、自分はベッドに入り寝た。
翌朝、起きてまずひよこの箱を改めた。驚いた。二羽とも冷たくなっていた。目は閉じ、体は硬直していた。昨晩はあんなに元気だったのに。ひよこ達は否定しようもなく死んでいた。親に泣いて訴えると、夜店で買ったひよこなどそんなものだろう、仕方がない、と言って一緒にお墓を作ってくれた。
子供心に私は、あの時間違いなく命のはかなさを学んだと思う。一度奪われた命は二度と戻らない。その不可逆性を心の深いところに刻まれた気がする。私はその後も懲りずに親にねだりペットとして犬や鳥を飼ってもらったが、僅か一晩で散華し命のはかなさを教えてくれた二羽のひよこのことを私は忘れることがない。
それにしても。昨晩、私がこの体験を思い出したきっかけは、息子と雌の鶏は卵を産む…という話をしていた時。と言うことは雌の鶏には雄より遥かに商業価値がある訳で…と考え、それでは雄のひよこはどうなるのだろう?と思った瞬間に冷たくなったひよこの感触が蘇った。そう。後日知った話だが、夜店で売られているひよこは例外なく雄。雌は卵を産んでくれる貴重な生産財なので夜店に並ぶことはない。雄のひよこは使い捨て以下のゴミ扱いなのだ。
これはまた悲しい事実。私は自分を含めた雄性の「使い捨て性」をこの時に実感した気がする。人間では威張っている男が多いが、生殖機構を考えると雄性が原理的に使い捨てであることは逃れ難い宿命。これを読んでくれている心優しい女性陣はそんなことありませんよ、と言ってくださるかも知れないが、有性生殖で精子と卵子が結合する時の数の比を考えてみればこれは一目瞭然の事実。人間なら、一度の射精で放出される精子は一億匹。最終的に卵子と結合して次の世代としてこの世に生まれ出て来る強者は僅かに一匹。つまり、精子と卵子の数の比は一億対一。これで勝負になる訳がない。つまり、精子=男、と考えると、我々は使い捨ての運命なのだ。同時に放出された一億マイナス一匹の同胞より如何に速く、強酸性雰囲気その他の殺人的逆境を乗り越えて卵子にたどり着く最初で最後の一匹になるか、その競争をする宿命。
これがシビアな選定をすることにより適者生存を徹底させ、良い遺伝子のみが次世代に受け継がれていくことを保証するシステムとして機能していることは明らか。つまり、それで良いのだ。雄性は基本的に競争を宿命とし、敗れた者は自分より優れた者を横目で見ながら強酸性の膣海に沈んで行く運命なのだ。
余談その一。この雌雄の見分けをする専門家を「初生雛雌雄鑑別師」といい、大変な専門職だそうです(参考;http://www.h5.dion.ne.jp/~allinone/words/cock.html)。
余談その二。皆さん大好きな居酒屋メニュー、子持シシャモ。店頭に並ぶのが子持ちばかりなら、雄はどうしたの? 雄は売れないので、すべて捨てられるそうです。これもゴミ以下。こんなことをしていて種が保てる訳はないので、遠くない将来シシャモは枯渇するでしょう。人間の愚行、ここに極まれり。
余談その三。嫉妬は女性特有の感情と言われますが、これを私は「精子膣内レース」の副産物であると見ます。男女を問わず我々は勝者である精子とそれを受け入れた卵子の結合の結果である訳ですが、一億分の一の確率を制し勝者となった精子の気持ちを考えてみてください。自分が保護膜を破り侵入した時点で卵子外郭にはシールドが張られ、ほんの僅かに遅れてゴールまでたどり着いた他の精子達は外でもがき苦しみつつ死んでいくことになります。終わった、何て過酷なレースだったんだ、あの連中には申し訳ないがおれの方が勝っていたってことさ、アデュー、と呟きつつ額の汗を手でぬぐいホッと一息ついてふと横を見ると、何と、このシールドの中にもう一匹精子がいるじゃありませんか。一瞬、貴様、何時の間に、これはおれの卵子だ、外に出ろ!と思いますが、考えてみればそれも叶わず、相手の存在を認めざるを得ません。あの強酸性の膣海をおれと同じスピードで渡って来たのか、やるな貴様、という訳で、この勇者は自分と同じ能力を持った他の勇者の存在を認めざるを得ません。これを私は「一卵性双生児の友情の法則」と名づけます。男性が気の合う同性に対して心を許す根本にはこの心理があるように思う訳です。
このデジログへのコメント
すごいな~…(^^;;
失礼ながら、笑ってしまいましたw
じゃあ、生き物みんな優等生だ~♪
> かなさん、またくっだらない雑文をアップしてしまいましたよ。いつも付き合ってくださり感謝です。昼休みですか?今日は良い天気ですね。かなさんの明るさで皆さんを楽しくしてあげてください。
> ともこさん、ありがとうございます。まー、生き物には雌雄同体というのもいますしね。原生動物には分裂で無性生殖するものも多い。雄性はやはり使い捨てですよ
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