- 名前
- sokichi
- 性別
- ♂
- 年齢
- 70歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 何事も興味を持ち柔らかい頭に保つ、おおらかな性格明るいと思います。
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暢神荘
2008年09月21日 07:10
台風の影響が懸念された中、台風の足が速まり昨日義兄のお母様の納骨が行われた。
このデジの書き始めのきっかけになったのは僕の母が亡くなった、その母の思い出を書く事から始まった。
父は富山の大農家の三男で生まれたが、母の大工一家の弟が群馬の高崎の田舎に居を構え宮大工としていたが、子供に恵まれてなく養子に三歳で来ていたのである。
養子で宮大工で名人肌の養父は農村の中にあり、飲んだくれの養父であったので、いじめにあったらしいが、負けず嫌いの父は喧嘩も強く、勉強も1番であったらしい。
その家の前に納骨をした義兄の母が居て、ままごと遊びをしながら育ったのである。
こんな田舎にあって、女子高、高等師範に行く事はない中でこの二人は学校を出た仲であった。
僕の父は大工が嫌であった事勉強が出来た事から鉄道大学へ校長の養父の説得で行けるようになり、駅長にまでなった。
義兄の母は結婚に破れたが義兄を生み、農協に勤め株等の利殖で資産を増やし、農協でも管理職になり義兄を育てた。
僕の母は東京の国立病院の看護婦でいろんな医師に影響を受け理想を求めていた。
そんな母が見合いをして父の所に来たのは、飲んだくれの名人肌大工を抱え苦労した父に同時したと言っていた。
このへんの事はデジの書き始めに書いた。
こんな中にあって、義兄は村1番の暴れん坊で、生まれたばかりの僕は暴れないよう、義兄の背中にくくりつけられて、育った。
兄弟のない義兄はぼくを弟として、可愛がりと言うかおもちゃにして育った。
だから義兄の事兄ちゃんと呼ぶのである。
この暴れん坊の兄ちゃんはお母様のバックもあって今プロパンガス会社の社長で、ライオンズクラブの役員や福田総理の後援会の役職もやる財界人になった
母のの事僕の事のこの辺りの事は前に書いたので略す。
納骨も知事、市長、福田さん等の生花等も飾られた、40年使った料亭暢神荘での精進落としは格が高かった。
兄ちゃん一族、村のビップでの暢神荘での精進落としは兄ちゃんの司会で、出席者の紹介があり、確かにビップだった。
僕の紹介でええっあの○○ちゃん?と40年前の神童と呼ばれた僕や母、父の思い出を話して くれた人達。
懐かしく人との繋がりを作ってくれた兄ちゃんのお母様に感謝した一日であった。
このデジログへのコメント
> さやかさん
家族が団結すると富豪に、一族が団結すると財閥になると言う、我が家は団結は出来ているのですが・・・・
遥さん
いいや、兄さんが僕の事誇りの弟して今はいろんな所に連れてって紹介するのですよ、有り難い事なのです
> ともみさん
中でも 塚田佳男さんの伯母さんに会い 嬉しかった
僕の音楽の先生で、ネット見ていただけたら嬉しい。佳男さんです。
sokichiさんもお父様、義兄様の血を引いて頑張りやさんのようですね。人間気骨が大事だと思います。
> 真琴さん
元気のようですね、安心。 気骨ね、サムライになりたいですが、なかなか。
頑張ってます。
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