- 名前
- sokichi
- 性別
- ♂
- 年齢
- 70歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 何事も興味を持ち柔らかい頭に保つ、おおらかな性格明るいと思います。
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救急車
2008年09月17日 12:03
昨日は、僕を小さい時おんぶして育ててくれた兄さんの所に行きました。
今週の土曜日が納骨で、兄は僕と血のつながりはないのですが、今は身内という、兄さんは一人っ子で お母さんは結婚しないで産んだ子
なのでした。
そのお母さんが96歳で亡くなったのです、それで納骨は11時からなので
すが、私の家内にお茶出し等の手伝いをしてくれと言うのである。
一人っ子で村一番の暴れん坊で、大人しくさせるために僕を背中にお
ぶわせたのである。
であるから、いつも僕は兄さんのおもちゃで、いつも泣かされていた
が、小学校に入ると、誰かいじめる者がいたら、兄さんに言いつけると言うと、虐める者は居なかった。
そんな兄さんが、お母さんの力を借りて今はプロパンガス会社の社長で
町の名士というか、ライオンズクラブの会長にまでなっている。
従兄弟等が多く納骨には大勢自宅に来る事もあり、その接待に僕の家内にやってほしいという、なかなか暴れん坊の兄であったが気の付く事は
人一倍で、奥さんのこと気がきかない・・と言っていつも喧嘩ばかりしている。
それで、なんでも気が付く僕の家内がお気に入りで、接待をさせるのである。
また、娘が二人でなかなか親子関係もうまくいっていない。
見ていると、もう40代の二人は姉が出戻りで二階に二人とも生活しているが、一切一緒に食事はしない親子関係で、頭を悩ませている。
それで、また奥さんと喧嘩して1週間も口を聞いてないという時は、僕の家内と夕食食べに来いと言って、奥さんを誘い夕食食べに行くのである。
そんな訳で、昨日家内と納骨の打ち合わせに来いというので行ってきた訳である。
お寺で納骨して高崎の料亭で精進落としをやるのだが、葬儀社の式担当にすべて用意させている、寺への花束、お供物・・・
石材店との打ち合わせまで・・メモリアルホールを使わないのに当日9時にその担当を呼んでいるのもおかしな話だよね。
他、僕の気づいた事をメモして わかった・・・と言う。
それで、家内にお茶を頼んだのは、納骨は近くの寺で行うのですが、精進落としは町の中だから移動が伴う。
その娘二人は精進落としには出ないというので、家内が家に残ってその娘二人に、接待の仕方を含め・・・人としての教育を
する きっかけを作ってほしいというのである。
僕の娘を見ていて、兄さんはそのような娘になって欲しいと、
常に思っていたが、お母さんが亡くなって・・娘の行く末が心配になったようだ。
町に、いつも行く喫茶店があって、そこでのコーヒー豆を挽いた缶入りがおいしいので、僕にあげたいと言うのであろう、
打ち合わせ終わり・・・さあ、帰れ・・と言って僕のひそひそとその喫茶店に行っていてくれ、と言う。
奥さんに知られてはいけないのか・・と思うのだが。
たぶん 娘の事を家内に話したかったのであろう。
その喫茶店は僕の母校の先輩達が良く集まり、またライオンズの社長達の集まりの場でもある、
また音楽が今時真空管を使ったアンプで かなり凝っている。
ジャズのレコードが1000枚も揃っている。
そこに 先に家内と行って・・コーヒーを飲んでいた、一人カウンターに60位の人がなんか、目が怪しそうで・・・。
いやだなぁぁ、と思っていたら兄か来てその人と話している。
或る会社の社長で、毎朝ここのコーヒーを飲みに来るらしい。
なんだ 知り合いだったのか・・でも、言葉は話が一言くらいしか話していない。
ここは、ピラフとオムライスとサンドウィッチがおいしいのだと言う。
オムライスとピラフを頼んでまた、娘の話をしていた。
そしたら、突然・・その社長が 口から血を吐き・・真っ白な顔になり 椅子から落ちそうになった・・
あわててマスターが 支えていたが 口から泡と、食べた物とが血に包まれて はき出ていた。
兄さんが゜救急車を呼んだ、家内は気持ち悪くなって 外に飛び出していた。
僕は、その社長を観察するしかない。
床に寝かせたが、まだ血を吐く・・・・・
マスターの奥さんが、、ここ一週間調子が悪く、御飯が食べられないと言っていたのですよね、三日でこんなに痩せるのですかねぇぇ・・と言っていた。
親戚に医者が多く、今朝も医者に行ってその足でここの来たのですよ・・と言っていた。
外に出て救急車が来たら解るように待っていようと思い、外に出たが、風の方向で・・救急車の音が聞こえるが・・・
なかなか来ない、待っていると こんなものかなぁあ・・・
と、僕は二年前まで・・年に三回救急車の世話になっていたが
家内に言わせると、10分もしないで来たというが、もう20分も過ぎていた。
東京は・・素早いなぁぁ、行政がしっかりしているのでは ないかと認識した。
30分もかかった。
着てもなんだか、動きがてきぱきとしていない・・・
ガッカリしてしまった。
心筋梗塞で三本のバイパスをしてから、毎年いろんな病気にかかり6年、毎年救急車の世話になっていた。
あの音は・・聞きたくないなぁぁ・・・といつも思っていた。
今日の救急車のもたつきを見ると、僕はラッキーだったなぁぁ
とつくづく思った。
もう二年間は 一度も救急車の世話になっていない。
感謝の日々である。
このデジログへのコメント
> 遥さん
救急車の有り難さは身をもって体験した僕にとって、医療の大切さをいつも感じる、まして我が子にたいする身を守る気持ちは・・
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