- 名前
- エンドウ
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- 自己紹介
- 飲食店で激務の傍ら、休日は愛車と気ままなお出かけをすることが多かったのですが、最近は...
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機械とも仲良く付き合っていきたい
2008年05月25日 16:48
ブレーキとアクセルを踏み間違えた。
店舗に突っ込む。人を撥ねる。ひどい場合は轢き殺す。操作ミスによる車の暴走、その事故にはお決まりの一文である。
まったく役割の異なるペダルを間違えるなんて馬鹿な話があるんだろうか。当初はそう訝しがったのだが、同様の事故は飽き飽きするほど報じられる。決して珍しいことではないのかもしれない。
この種の事故が起きたときに槍玉に挙げられるのがAT車の存在だ。
MT車と違いクラッチ操作を必要としないので、アクセルとブレーキ、ステアリングの操作だけで走らせることができる。その特徴ゆえに「AT車及びそのドライバーはMT車のそれよりも劣る」という侮蔑がある。
確かに、ただ走らせるだけならAT車はへたくそでも乗れる。上手に走らせようとするとなると話は違ってくるのだが、ペダルを踏み分けるだけで加速と減速ができるのだから、運転は簡易であり敷居が低い。ただ、新車におけるAT車の比率は95%以上だ。選択肢が極端であり、熟練者であろうが初心者であろうがAT車を選択する、あるいは選ばざるをえないのが現状だ。トランスミッションの差異だけで優劣を測るものではない。
普及率が圧倒的なのだから、事故を起こした人間がAT車に乗っている確立が高くなっているだけだ。AT乗りがみな危険因子だとしたら、恐ろしくて外なんか歩けないじゃないか。
機械は間違いを起こさない。何かをやらかすのはいつだって人間なのである。
右足はアクセル、左足はブレーキというように役割分担がなされている習慣があれば踏み間違いは起きないという意見もあるが、問題はまったく別の所にあると思う。
AT車の長所は機械としての車の操作が簡単であることだ。一手間かかるクラッチ操作が簡略化されていることにより、運転に余裕が生まれる。そのゆとりを周辺への気配りや状況判断に回すことができれば、交通事故はぐんと減ることだろう。
しかし、皆が皆そんな殊勝な心がけをしているのだろうか。右手でステアリングを切りながら、左手には携帯電話という光景は珍しくもなんともない。運転が簡単になっているからといって、走ることを侮るなんてバカである。車を運転することと公道を走るということはまったく違う。独りよがりの行動ではなく、周囲とのコミュニケーションであるということが理解できないのなら車には乗るべきではない。
オートメーションは人間に余裕をもたらすが、それは必ずしもプラスに働かない。むしろ気持ちを増長させ、思わぬ事故の原因となったりする。長所と短所は常に背中合わせである。
他のものによって補助してもらっている部分を自分の力量だと勘違いする。その油断はいずれ自分の首を絞めるものではないだろうか。真綿で絞めるようにじわじわと。
このデジログへのコメント
えりは自転車なら運転に自信あるけど自動車はもう乗れそうにない。テレビで事故の映像を見ると恐ろしくて。
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