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境界が壊れるとき②― なぜ喪失は“自分の崩壊”になるのか ―
2026年04月06日 01:31
第2回:なぜ喪失は“自分の崩壊”になるのか
― 失われるのは、相手ではなく「自分」なのか ―
なぜ、「ただの別れ」が、
これほどまでに耐えがたい苦痛となるのか。
失恋の悲しみは、
誰もが経験するものだ。
時の経過とともに癒え、
やがて思い出へと変わっていく。
それが自然な心の営みのはずだ。
けれど、
ある種の人々にとって、
その喪失は単なる悲劇を超え、
文字通り「自分の崩壊」へと直結してしまう。
そこにあるのは、
もはや恋愛感情という瑞々しいものではない。
もっと根源的で、
剥き出しの「生存の危機」に近い何かだ。
私たちは通常、
喪失を「相手を失うこと」だと定義する。
だが、
その苦痛の本質は、実は外側ではなく内側にある。
失われたのは「相手」ではない。
相手という存在を介して保っていた、
自分自身の「連続性」が断たれてしまうこと。
それが苦痛の正体だ。
長い時間を共にし、
深く依存した関係において、
相手はいつしか独立した他者であることをやめ、
「自己の一部」として組み込まれていく。
自分の価値を認め、
自分の居場所を保証し、
自分の物語を肯定してくれる存在。
そんな相手を失うことは、
自分の身体の一部をもぎ取られるような感覚に近い。
「相手がいなくなる」のではなく、
「自分を構成していた重要なピースが欠ける」のだ。
現代は、この「アイデンティティの外部化」を加速させる。
自分で自分を肯定する力が弱まり、
誰かからの承認や、誰かと繋がっているという事実だけで自分の輪郭を保とうとする。
自分の価値という「計器」を相手に預けてしまっているから、
その相手が去った瞬間、
自分の価値という基準を見失い、
世界の輪郭が静かに崩れ始める。
だから、
彼らは「別れられない」のではない。
正確には、
「別れてしまったら、自分を保てない」のだ。
相手を追いかけ、
境界を侵食し、
執拗に関係を繋ぎ止めようとする狂気。
そのあがきの正体は、
相手への献身などではない。
崩れゆく自分を必死で繋ぎ止めようとする、
孤独で、あまりに脆弱な自己愛の叫びである。
私たちは、自分という存在の根拠を、
どこまで他者に委ねてしまっているのだろうか。
鏡の中に映る自分ではなく、
誰かの瞳の中に映る自分だけを信じて生きるとき。
その「瞳」が閉じられた瞬間、
私たちは自分という存在を、
どこで見つければいいのか。
依存の果てに待っているのは、
他者を失うことよりも恐ろしい、
「自分自身の消失」なのかもしれない。
それとも私たちは、
すでにその状態の中で、
誰かに支えられることでかろうじて形を保っているだけなのだろうか。




このウラログへのコメント
おはようございますゴイゴイスーーーッ!!!!───(ノ)´∀`(ヾ)───
こんばんは(*^-^*)
なるほど・・そういう心の動きが相手への暴挙に繋がるんですね‥。私も元カレがストーカーになり殺されそうになったことあります。桶川の事件の前だったから警察も何もしてくれなかった。
> 咲愛さん
こんばんは。
そういうご経験がおありだったのですね。
今回書いた内容は、そうした行動の背景を考えたものですが、
あくまで理解のためであって、許されるものではないと思っています。
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