- 名前
- 清英
- 性別
- ♂
- 年齢
- 64歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 美酒美食、◯◯好きなので一緒に居酒屋や料理店巡り、◯◯◯にお付き合いして下さる心優し...
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チャンスは貯金できない
2024年01月23日 17:23
本日の私の書作品は
チャンスは貯金できない。
樋口廣太郎のことば
樋口 廣太郎(ひぐち ひろたろう、1926年(大正15年)1月25日 - 2012年(平成24年)9月16日)は日本の実業家。アサヒビール中興
再建不能とまで言われたアサヒビールを再建した樋口廣太郎さん。企業再生の旗手として知られているが、社員に愛される組織を徹底して考え抜いた人物でもある。
樋口さんは1926年に京都の布団屋で生まれた。京都大学時代に学生運動に傾倒するものの、運動に疲れ原点から勉強したいと思っていた時に一人の神父と出会った。神父は酒を飲み交わしながら気さくに悩みに耳を傾けてくれる人柄に樋口は惚れ込んだ。「戦後、すぐでしたから人間の心がとげとげしいときに終始笑顔で人の話をきかれた。相手の話を聞くことにも非常に一生懸命だし、悩みを聞くことにも一生懸命だし、そういうのにはやっぱり打たれましたね」。これが転機となり、その後、カトリックに入信する。
卒業後は住友銀行で働き47歳で取締役となった。副頭取にまで上り詰め住友銀行内での成功を約束されていたかに見えた。しかし1986年、経営方針を巡る問題から頭取の道を諦める。大手の住友関連会社の社長職なども選択肢にあったが、あえて深刻な経営難にあるアサヒビールの社長の座を引き受けることを決意する。
就任した樋口さんは各工場への視察を頻繁に行った。この他にも全国の問屋や酒販店を訪れ店主に改善点を尋ね歩いたり、ライバル他社であるキリンビールやサッポロビールのトップを訪問し、再建のための教えを乞うたりもした。就任から1年でアサヒビールの救世主となる「スーパードライ」の開発に成功、アサヒがビールシェアトップの座に着いた。
アサヒビールの経営を離れた後も、若手起業家の支援から新国立劇場の立て直しを行うなど多様なことに挑戦し続けた。
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