- 名前
- 犬飼主
- 性別
- ♂
- 年齢
- 61歳
- 住所
- 高知
- 自己紹介
- 最後の愛奴を求めます。年齢的にも初老に差し掛かりました。残りの人生を一緒に過ごせれば...
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SM公開講座「躾と調教」05
2023年12月19日 00:08
5 土台
奴隷にとってご主人様に「依存する」というのはどういうことだと思いますか。
依存する、というからにはご主人様に頼るということですよね。
主従関係なのですから何かの形で依存していることは間違いないのですから、奴隷がご主人様を頼りにするのは当たり前のことだと思います。
対等な立場ではない主従関係であるからこそ、奴隷は依存することを許され、そしてご主人様はそれを受け入れることになるわけです。
もちろん信頼し尊敬できる存在だからこそ頼りにできるわけですが、ご主人様と奴隷の思っている「依存」という意味がくい違っていたのでは困りますよね。
そこで奴隷の方はご自分のことを考えてみてください。
どのようにご主人様に依存しているのかを。
そしてご主人様の方も考えてみてください。
奴隷がどのように自分に依存しているのか、またどんな依存をさせようとしているのかを。
頼るというのはご主人様の存在があるからこそできることではありますが、だからといって何もかも頼り切ってべったりと甘えることではけしてありません。
ご主人様がいなければひとりで立っていられないような、そんな情けない奴隷にはなっていただきたくありませんし、そんな育て方をしていただきたくないと思うのです。
しっかりと自分で立っていられないからご主人様に支えていただいています♪ というのでは奴隷にとってご主人様はたんなる添え木としての存在でしかないのです。
誤解しないでいただきたいのですが、「ひとりで立っていられるようになる」ということは「私はひとりっきりでも大丈夫!」ということではありません。
女として奴隷として、何かの形で自分の存在価値を見いだしていくということなのです。
なにも大袈裟なことをいっているのではありません。
たとえば日常でもなかなか自信が持てなかったり勇気のでないことにチャレンジする時にご主人様の奴隷として恥ずかしくないようにという気持ちで頑張れる自分を見いだすこと。
そしてそれをご主人様が見守っていてくれていること。
それだけでもじゅうぶんにシアワセじゃないですか (*^^*)
ご主人様がいなくても生きていけるのではなく、ご主人様がいなければ何もできないのでもなく、ご主人様がいるからこそ自分が自分らしく生きていくことができるということなのです。
M女性がご主人様に奴隷としてお仕えすることを自分の意志で決められたのですから、何も自分で決められないおこちゃまなわけではありませんよね。
だからとりあえずは自分で立っていられる一本の「樹」だと思ってみてください。
中にはご主人様と出会う前にできた枝や葉っぱに誇りを持っている方もいらっしゃるかもしれませんが、グラグラしてなんとなく頼りなくて誰かに支えて欲しかったのではありませんか?
なぜかといえば、樹の大きさにみあうだけのしっかりとした根を張っていなかったからなのです。
だからといってご主人様の存在というのは、不安定な樹がぐらつかないように支えている添え木ではないのです。
いつも添え木に寄りかかったままでいてはダメなんですよ。
ご主人様の存在というのは、たとえ嵐が来てもしっかりと立っていられるように根を張るための大地という「土台」なのです。
ご主人様という土台の上に根を張ってしっかりと育っていくことが奴隷の役目だとすれば奴隷という樹が大きく育ち葉を茂らせ美しい花を咲かせるためにしっかりとした土台になることがご主人様の役目であるわけです。
ご主人様もたんなる添え木にならないようにしっかりとした土台でいるための努力を怠りなく続けていかなければなりません。
そして・・・
信頼できる大きな土台の上で育っていけることに最大限の感謝をして、それに恥ずかしくない人間に成長していこうと努力することが「服従」であるということになるのです。
いままで自分だけで構成していたあなた自身という存在が、ご主人様というしっかりした土台の上でいろいろな意味で安心して暮らせるようになっていくのが「支配と服従」の姿なのだと思います。
くれぐれも、砂の上に根を張らないようにご注意を!
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