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シーシュポスの神話

2007年05月07日 16:16

ノーベル文学賞を取ったアルベールカミュが代表作「異邦人」の前に不条理の哲学について描いた話、元はギリシャ神話。神々の怒りをかったシーシュポスは大岩を山の頂に持ち上げる罰を受ける、やっとの思いで大岩を担ぎ上げよろける足で山を登る、心臓が口から飛び出しそうになったころやっと頂上に,おもむろに大岩を頂上にに置くと、なんと大岩はごろごろところがって麓に逆戻り、シーシュポスの罰はこれを永遠に続けること。休みなく苦しみ続けること。唯一の救いは神ではないから永遠の命は持っていないこと。生きている間は苦しみしかないものの、自らの命の火が消えるとき、苦しみからも解放される。さて命に代えてもあなたを愛し続けます。と誓う時にはこういう覚悟もあるのだろうか?決して実ることのない愛、実る瞬間には自分の命は召されていく。殉教の自爆テロ一向一揆とは違う、それらは自分の魂の救済を約束されていると確信しているから。決して実ることはないと十二分に理解している状況で命を捨てても愛し続けられるのか?そんな人に出会いたい。そうしたらそれは幸せな、生きるに値する人生だったといえる。俺は多分もう出会っている気もする。それは成就することのない愛でも、彼女の行く末が気になるものでもあるが。

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