- 名前
- 吟遊詩人
- 性別
- ♂
- 年齢
- 71歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 貴方が厳しい社会や東京に振り回され、耐え難い寂しさや孤独感、性欲に苛まれた時、また出...
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【お題日記】カラダの相性ってどれぐらい大事?
2018年02月14日 02:28
今日のお題はこれ!
うん、大事なことだ。私がそれを知ったのは40代半ばごろだったかな。
分かりやすい例えで言えば、いっくら愛し合って結婚したとしても、毎日毎日美味くない食事を食べて一生を送るのと、さほど愛していなくても美味しい食事を食べられる一生と、どっちがいいかの違いのようなものだと言える。
男女の一生のうち、体の相性が悪ければ、互の肌と身体えお馴染ませにくくして、互の全身と愛が不可分なように、愛を深め強くすることを難しくすることになる。
また男女の体の相性がいい場合でも、とくに女の体は、「逝く」っていっても、それ以上の未体験ゾーンがあることを女自身が知らないし、男も普通の勤め人生活を送っていれば、夜は疲れきっているため、男女がSEXのよさが階段を上がるように変化することを体験できる機会も少なく、二人の体の相性を深めたり絆を強くすることも難しい。
言葉を換えれば、男女の体の相性は、性愛と生活の中でより強く結ばれていくものだということ、だがそれを難しくしている問題もあるということだ。
まあ普通の夫婦で、愛し合っていて、食事も満足がいくもので、二人で手を取って二人だけの愛とSEXの悦びを1段づつ上がって行き、体の相性を強くさせ一生を終わる、というのもいいものだろう。
だがこれも何段も上のSEXの悦びがあることは知らないで、つまり二人でせめぎ合い体感しあうことの限界(体と愛の結びつきの際=体の相性の合一)を知らないで、一生を終わるのが普通なことなのだ。
ちなみにSEXの階段の最上段を分かり易く言ってしまえば、女が失禁する状態のことだ。
女が失禁して漏らすクソで男の股ぐらは糞まみれになるが、女は最後の悦界に着くまで体が止まらないし、止められないのだ。
男も自分のペニスが女を女にしている悦び得る。もちろんそこの快感もあるのだが、快感が持続して酔った状態というか、それ以上に快感が無い限界の状態が続く。だからそれ以上にペニを立て固くし女のリズムに合わせ掻き回せ、奥まで挿し女の悦界に導いてあげることが男の悦び(女を想う愛)に転化する。
それ以上の上段は危険ゾーンで、女が白目を剥き口から泡を吹き気を失う状態となる。そのような段階は到底悦び状態とは言えないだろう。
まあこうして体の相性といっても、相性そのものは必要だが、男女の恋愛中にできる場合もあるし、いまの例えのように普通に二人の家庭生活SEX活動で徐々に結び付き(相性)を作って行く場合もある。
こんな場合は体の相性が徐々に合ってきたと言えるのだろう。
しかし、普通ということでさえ現実には無理な面があると言えるだろう。
一戸建ての家でも夫婦の営みの音や声も漏れるし、家も揺れる。夫婦で伸び伸びとSEXを楽しむことさえできないのが実情だからだ。
そのうえ安月給(賃金)で、疲れきるほど働かされ、SEXを楽しむ愛を結び合うどころではないのも実情だろう。
夫婦ともに疲れきって体も精神にも余裕がないからだ。
男女の体の相性が大切だといっても、そうできない問題も多く、男女の体の相性と愛を深められない問題だということだ。
私の個人的な反省点も、体に相性と言うものがある事を知らなかったことだ。その重要性を知らなかったことだ。
男女なら肌が合うことは普通のことで、次に知り合う女とも男女なのだから肌が合い、体の相性が合うものだと思い込んでいたのだ。
それが間違いであることに気づいたのが30大後半。それの間違いを自覚し、しみじみ失敗を悟ったのが40代の男盛り、女盛り(のはずだった)の時だった。が、女の方がいくら説明しても(何で男の貴方が女の体のことを知っているんだ!と云う事にもなり)それ以上の段階に進む意思がなく、疲れもあって拒まれてしまったのだ。こうして男と女としての体の相性を深めることができなくなってしまったし、女が女でいることと、女になることを自身で閉じてしまう結果にもなってしまったのだ。
このことに関係して、世間で聞かれることで、母親や嫁、妻として生きているだけでなく、女として生きたい、そう扱い、見て欲しい、などと女の本心を曝け出すようなことがあるという。こいった場合ででも、そうとは知らず自身で女を捨ててしまっている場合があるのだと言うことに気付いて欲しいのだ。
まあ、こうして夫婦の体と愛の結びつきが深められなくなった、自分の愚かを知ったわけだ。
決して美人でなかったからといって軽ろんじてしまったために、体の相性がよかったその女と一緒になていたら、男としてどれほど幸せだったかを、しみじみと想い知ったのだ。
些細な行き違いで、心の中で「あんな糞たれ女」などと毒づいて別れてしまったが、今でも忘れられない女となった。その女を思い自分の愚かを思い、涙ぐむ結果となってしまった。
一言。体の相性は重要だということ。
女は女の悦びは男によって与えられることの意味を覚えていて欲しいということ。
女自身ではSEXの高みがあることを知る(体感)ことはできず、さらに女自身の女を閉じて女を捨てることになるのだということ。
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