- 名前
- ベソ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 64歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- 我ハ墓守也。
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
失楽園
2013年08月26日 02:35
お盆も過ぎ、朝方には僅かですが秋の気配を感じる時候となりましたが、皆様お元気でしょうか。
話題をさらったこの作品のこと、皆様ご存知でしょう。
わしはたまたま、原作が日経に連載されていた平成7年当時、日本で会社員をしており、リアルタイムで読んでいただけに強い印象がある作品です。
(その後に映画化され、更にテレビシリーズになったんですね。皆様ご覧になりました? わしはどちらも観てへんのです。黒木瞳のファンやのに)
で、この作品の凄いところは、不倫を肯定も否定もせず、ただ破滅に突進して行く二人を淡々と描いているところやと思うんですよ。
勿論、二人を結び付ける絆、道具、メディアとして繰り返しセックスが描かれ、狂おしく深みに嵌っていく様がこれでもかと描写されるわけですが。
しかし、あくまでもセックスは「過程」であり、「結論」ではない。そう、この物語で二人は悲しく儚い、しかし絶対に他者が触れられない領域に逃れることで「結論」を出します。それは「不倫」と呼ばれる許されざる恋の形に燃え尽きた二人が、贖罪の形として選んだ結末のようにも思えます。
そこに至るまでには、当然出会いがあり、馴れ初めがあり、初めてのまぐわいがあり、徐々に深まっていく関係がある訳ですが。
その過程で二人は、最初は気にしていた周囲の目を徐々に憚らないようになって行くんですな。半ば公然と会うようになる。
そして周囲は二人の関係に気づき、当然ながらそれを絶たせようとする。
そこで引き返せば互いに元の鞘に収まった筈ですが、この二人はそうはしません。
二人は隠れて会い続け、セックスの喜びは増し、それこそ不可分の関係になってしまう。
二人のそれぞれの家庭では不和が起こり、騒動になる。
しかし二人は会い続ける。
結果として周囲と隔絶するに従い、二人の距離が近づくのは無理からぬこと。
最終的に共に家庭を捨て、二人の愛の究極の形として心中を計画し、実行する。
男女共に、遺書に遺した望みは「二人を一緒の墓に葬ってくれ」の一点のみ。
これが現実にあった話ならば、こんなことをしでかした二人が両家の墓に入れる道理はない。
やから、無縁仏にならざるを得ない訳ですが…
しかし、二人は共に葬られることで、永遠になった。
この上なく純粋で、哀しく、そして忌むべき愛の形やありませんか。
この二人が周囲にどれだけ迷惑をかけたか。
どれだけの人々を苦しめたか。
二人とも、そんなことは百も承知でありながら、尚関係を継続し、ただ破滅に突進して行った…
小説とはいえ余りに強烈な展開に、わしはビビりながら、しかし先を楽しみに読み続けたものです。
わしはね、これはあってはあかん形の恋愛やと思います。その意味ではこうした恋愛を否定します。
不倫は、家庭あってのことです。本来は許されない形の逢瀬。それを、お互い事情がありながら、止むに止まれず行う行為でしょう。
やから、仮に秘密の行為が秘密でなくなった時は、清算するのがルールやと思います。それが最低限の誠意とも言える。
ま、この小説の中では、二人はそうしたルールは百も承知で尚、加速していく関係に歯止めをかけられなかった、というのが哀しさなんでしょうが…
わしはね、この話、最近良く思い出すんです。
果たして話の中で、あの二人は幸せであったのか。
死を選んだのは必然としても、それは望んだ結論であったのか。
男も女も、同様にそれを望んだのか。
わしが「必然」と考えるのは、周囲の反対を押して逢い続ける選択をした彼らは、その段階で「退く」というオプションを絶っているからです。逃げ場所をすべて捨てた末の選択が「関係を続ける」という行為であった。
周囲を全て捨て、全てから捨てられ、互いに残ったのは「不倫」と呼ばれる関係の相手のみ。
そしてその相手だけは自分を裏切らず、捨てず、最後まで求めてくれた。
その二人がつながったままで、互いに果てた瞬間に絶命する。
これを究極の愛の形…その一つであるということに反論する人はいないでしょう。
そう、美しいんです。
美し過ぎる程に。
でもね、これは許されん愛やとやはり、わしは思います。
人に迷惑をかけてはならない。
家庭を犠牲にしてはならない。
それが婚外の関係のルールや、というわしの考えは変わりません。
もっとも、それはわしがそう思える相手に出会っていないだけ、或いは出会っていたとしてもそうなる前に会えなくなってしまったから、若しくはそこまで至っていないだけなのかも知れませんが。
皆さんはどう思われますか?
「失楽園」の二人のように、他の全てを捨てられる不倫相手に出会い、家庭を捨て、絶頂の瞬間に心中したいと思いますか?
Yesと答えはる女性が、何人いてはるんやろ…
もっとも、あの話の中で、主人公の女性は、子供がいない奥様、という設定なんですな。
そこは良く選んである。
家庭を捨てる、という行為が、ご主人だけである場合と、お子さんがいる場合では、その重みがまったく違って来るのは当然です。
原作者の渡辺淳一氏、62歳の時の作品。
そのお歳であんなに過激な性描写が描けるとは…
18年も前に読んだ小説のことをこれだけ思い出すのは、ひょっとしてわしにもそうやって究極の愛を実現して死にたい、という気持ちがあるからなんでしょうか。
その為には家族に捨てられる、という前提がありますなあ。
これはハードルが高い。
でももしそうなったら、そしてそんなわしを求めてくれる女性がいたら、その女性に捨てるものが何もないとしたら…
そう考えてしまうものなんやろか。
太宰 治の最期も何か、そんな感じやったっぽいですもんね。
無論、あの文豪とこんなただのおっさんを比較するのは恐れ多い訳ですが。
最近、全国で雨が降り、酷暑が遂に秋に道を譲った感がありますな。
そして今度は、この雨の降り方が酷い。
皆様、十分お気をつけて。
このウラログへのコメント
> ○あい○さん
全くその通り。貴女の年齢でそうとしか思えないのは道理。
でも、これから生きていき、色んなことを経験し、血と肉が入れ替わるような成長をし、昨日まで苦いとしか思えなかった
> ○あい○さん
珈琲やゴーヤが美味しく感じるようになったら、その時は別の感想を貴女は持つかも知れない。
それでええんです。大人の世界は矛盾だらけ。
嫌やねえ…
コメントを書く