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心と身体の繋がり

2011年08月16日 22:14

心と身体の繋がり

人間の心と身体は密接に繋がっているモノです

怒りや憎しみの感情が コリや痛み 内蔵の不調を起こしたり

体調の崩れが 心をマイナス思考へと誘う


単なる風邪がもとで鬱になることもよくある

心の不調が先か 身体の不調が先か

まるで鶏と卵の議論と同じ

どちらが先にしても 長引くと相乗効果を起こしており

負のスパイラルに陥っていることになる



うつむく姿勢を続けている人は 万年肩こりに悩まされるだろう

そこで肩を解きほぐす

しかし 日常に戻ればまたうつむく

堂々巡り


こちらの手は肩をほぐせても 心はほぐせない

肩の和らぎで一時は心も和らぐけど 日常に戻ればまた同じ

心を解きほぐすには

やはり言葉が一番届くだろう


心のコリを解きほぐす言葉が 身体を解きほぐす手と共に 心に伸びれば

日常のうつむきもやがては経るだろう


身体全体に触れながら コリや痛みの原因を突き止めるように

心に触れながら うつむきの原因を感じる


愛情があれば なおいいのだろう


無心でないと 心には触れられない

治そう 治してあげよう 突き止めよう

そんな邪心があれば 心は条件反射的に閉ざされる

気が閉じる

もう触れることは出来ない

触れてもわからない


無心でいれば 自然と相手をいたわろうとする

それが人間

自分に命令などしなくても 自然にそうなっている


自分を愛することが出来れば 無心で人を愛することが出来る

自分を愛してる?

本当に愛してる?


自分の嫌いな部分

それを許せてる?

克服してる?


自分を否定してしまえば 自分は愛せない

自分が愛せないのに なんで他人を愛せる?


自分を愛そう

怠慢な自分は合理的なのかもしれないし せっかちな自分は何かを恐れているのかもしれない

怒りやすいのは理由があるし 計算高いのにも理由がある

一言で言えば「そうすることで生きてこれた」ということ

生きることを大切にすることは 愛することの始まり

愛すれば 自分が無理をしていることの無意味さも理解できる

無理をするから心が悲鳴をあげ 身体も悲鳴をあげる


自分を愛すれば 自分が何が幸せなのかがわかる

無理をしていることが 幸せに繋がっていることなのかな?

心をこわばらせ 身体をこわばらせる幸せって?

本当にあるのだろうか


不幸を排除すれば幸せ?

それは 考えているうちの一つの「不幸」に陥らなかったというだけのこと

同じ道を歩くにしても 崖の恐怖に目をやるより 花の美しさに目をやり歩いた方が良いだろう

-「崖から落ちたらどうするの?」

そんなきわどい人生なの?

違うでしょ


無心になって見渡せば 崖など見あたらなくなる

崖があると思うと崖が現れる

それが人生

花が咲いていると思うと 一面花が咲き乱れる

今居る場所がそう


深呼吸して 身体に新鮮な命を吹き込む

ゆっくり ゆっくり

身体が洗われ 心も洗われ

邪(よこしま)な日常に 別れを告げよう

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