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中絶に関する倫理的問題を考える
2009年11月10日 08:33
さて、いきなり真面目なタイトルで始まりました。
突然ですね。ですが気にしてはいけません。
なんと言っても不思議と評されたことのある私のログですから。
さておき、少し前にここのログで 『中絶』 やら 『障害者』 やらに対する何とも言い難い内容のものをちらほらと見かけたので、それらに見ることができる倫理的問題について適当にお話してみたいと思います。
難しいことが嫌いだったり、苦手だったりする人は読まないことをオススメします。真面目すぎる内容になると思うので、真面目は無理だ~という人も読まない方がいいかも。
さて、皆さんが知っているかどうかは知りませんが、中絶は一応犯罪です。少なくとも日本では罪に問われます。当然といえば当然ですね。これは極端に言ってしまえば殺人ですから。
受胎、つまりは妊娠しただけならそれはまだ胚なので殺『人』にはならないのではないかと思われるかもしれませんが、これは解釈次第では『人になる存在』と認識されるので、人と同義に捉えることができるわけですね。
ですが殺人というには無理があります。
なので現在の法律では 『堕胎罪』 と人間の胎児に対する殺人の罪として扱われています。こう知らされると避妊具なしの性行為が怖くなるかと思われますが、実際のところ中絶は多く行われています。
犯罪なのになくならない理由に法律がまたも関係しています。
こちらは 『母体保護法』 と呼ばれているものです。
すなわち、母体の健康を著しく損なうないし害する可能性がある場合、母体の生命維持を優先するという法律です。
本来は無理に子どもを産む事で母体が死ぬ可能性があるという、危険な条件化において適用されるものなのですが、これを拡大解釈して母体保護法に当てはめることができるのです。
例えば、子どもを育てることが困難な環境にあるため、堕胎しなかった場合、母体の健康を害するおそれがある。
などと言い訳がましく自己正当化できるわけですね。
これは極端な例ですが、このような方向性で中絶の理由はまかりとおります。医者が認めれば問題ないわけですから。
結果的に現在の日本では法律上は違反とされていながらも実際には公然のものとして中絶は行われているわけです。
さて、ここで問題になるのは胎児の人権です。
胎児や赤ん坊にも当然ながら人権はあります。
それは人ですからね。
この中の生存権が中絶を行う際に倫理的に問題があるのです。
と言うのも、生存権とは他人によって自分の命が左右されてはならないというような、正当防衛的な権利です。生きる権利と言っても良いでしょう。
もしも、これで中絶が問題ないとされた場合、脳死患者や精神障害者の殺人さえも問題がないと拡大解釈が可能になってしまうおそれがあるのです。
理由は安楽死問題にも繋がるのですが、これも当然殺人になるわけです。しかし尊厳死・安楽死という言葉が生まれてから少なからず影に日向に安楽死は行われてきました。
そこで安楽死が適用される条件というのが定められています。つまりその条件を守らない場合は違法行為となる、というものですね。当然ですが中絶にも妊娠期間の長さ云々の条件がありますよ。興味ある方は調べてみてください。
さておき、その条件の中に 『患者の意思確認』 が必要なのです。実はこれが一番の問題点とされています。なぜならば相手が 『冷静な判断が出来ているか』 というように、意識が混乱しておらずハッキリしていることが条件だからです。
安楽死といえば意思疎通が出来ない患者の場合が圧倒的に多いです。それなのに意思確認なんて出来るはずがありません。
ここでさらに臓器移植問題が繋がってきます。
臓器提供も本人の意思確認および家族などの近親者による意思確認が必要になるわけですが、臓器移植はドナーの死後、出来るだけ早く摘出して利用したほうが成功率が高いのは有名ですが、それゆえに意思確認の時間をするだけ患者の生命が危険になるわけですね。
ですが、つい最近のことですがたしか・・・・・・本人の意思確認を必要とせずに臓器移植が可能になる法律が可決されていた気がします。本人の拒否がない限り、家族の同意があれば良いというものです。
ちなみに脳死=人の死と定義されたようですが、実は脳死患者が回復した例というのが世界で稀に存在します。つまり脳死=死とは絶対ではないのですね。それでもOKであると日本では判断したわけです。
※脳死には程度があるので定義がどうなのか気になるところ。
さて、以上を踏まえた上であえて言いましょう。
本人の意思確認が臓器移植問題では必要がなくなりました。
しかもそれは回復する可能性が極めて低いですが存在する状態です。
これを拡大解釈してみるとどうなるでしょうか。
臓器移植の例は、言ってしまえば個人の意思の重要性が薄れたということになります。つまり安楽死問題に対しても 『意思疎通が不可能ないし難しい場合』 家族の同意だけでも問題はないのではなかろうか?
と考えられるわけですね。
そうなってくると中絶問題はもっと軽くなります。
胎児に意思確認は不可能だし、なにより意思があるかどうかは不明瞭。だから問題がなければ家族の同意だけで中絶しても良いのではないか?
などと命を軽んじた結果に行き着く可能性もあるわけです。
たしかにこれは極端な例ですが、もしもこの中の一部に前例が出来た場合、それを根拠なり理由にしてさらに拡大解釈するということができてしまうのです。
前例というのは法律にとって穴です。
この穴が広がりすぎると今違法となっているものが合法になる可能性が極めて高い。それほどに前例は危険なものです。
中絶が暗黙のうちに合法化されているのは前例が増えすぎたためです。日本の中絶人口は何気に多いのですよ。なので母体保護法を利用した中絶の正当化が暗黙の了解として使われているわけです。
この前例がさらに広がった場合、赤ん坊の形をしていてもおなかの中に入る限りは殺しても問題ないと判断されるようになるのかもしれませんね。
長くなりましたが、これらの諸問題が倫理的に人間性を損なうもので問題があるというお話でした。
中絶とは殺人である。
そのことを多くの人に理解してもらいたいですね。
それを忘れて子どもを産むのが嫌だからと平気で中絶をするようになるのは、人間のすることではないと私は考えるのです。
このウラログへのコメント
法律上相続権以外は胎児に人権は認められてないでしょ
中絶が倫理的に胎児に対する殺人には同意だけど
残念ながらあたしには全く理解出来ないです。無責任に産むよりは中絶すべきだと思います。
確かにザル法ですがその間は人の多様性に必要かも…宗教等で選択肢を持てないのもある意味無慈悲ですから…
> ミチネコ(=゜-゜)さん
ですがこれはあくまでも自論で、例のごとく極端な意見ですよ。
実際には諸所の問題があるので中絶はいけないことではありませんw
大事なのは心構えです。
> 小桃さん
民法や諸外国によっては認められている場合もあるようですよ。
大事なのは命に対する認識だと私は思っております。
実際のところ、意思疎通が図れないのであればないようなものです。
> ☆にゃん☆さん
ですが実際には理由があって行う人もたくさんいます。
それらが一概に悪いとは言い切れない問題なので、いまだに生命倫理においては色々論じられる内容でもありますね。
親の愛は偉大。
> ゆいさん
現実問題としてそれは正しい判断ですよ。
なにより中絶が絶対に悪いというわけではありませんから。
赤ちゃんポストの例もありますからね。
ただ倫理的に見た場合、善悪はどうなるかという話w
> 茶菜さん
実はこの中絶問題、もう一つの側面を抱えています。
宗教というよりは思想ですね。
優生思想というものに繋がると中絶が悪用されかねないのですよ。
命の重みを忘れたような思想です。
> ぽりんさん
法律のことはさっぱりなのでこういうお話を聞くと、色々七面倒そうですw
> 桜さん
誰もが桜さんのように考えられるなら、子どもの死亡事件の類はぐっと減ることでしょうな。
> kikiさん
もとい行為をするからには女性のことを考えて欲しいものです。
苦労するのは女性なのですから、男はそういうときにできうる限りのことをするべきだと私は考えるのですよ。甲斐性必須!!
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