- 名前
- hiro
- 性別
- ♂
- 年齢
- 52歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 溢れる知性(ぉい
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本日は趣向を変えまして・・・・
2008年07月08日 21:27
”私の音楽嗜好を決定したArtist その①”ということで、
YMOについて色々能書きをたれたいと思います。
30歳↑の方は、名前くらい聞いたことがあると思いますが、
20代になると、知らない方もいらっしゃると思いますので、
まずは簡単に、ご説明をば致しましょうかね(*^_^*)
YMOとは
正式名称”Yellow Magic Orchestra”それぞれの頭文字を取って
YMOと呼ばれていました。
YMOとは、結成は1978年、1983年に散開(解散)するまでの5年間、
日本をはじめ、USA、UK等英語圏において、
シンセサイザーやコンピューターを駆使した
テクノポップ/ニューウエーブのムーブメントの先頭をひた走ってきた
伝説的なグループで、1993年と2007年に再生(再結成)をした際
に散開前のオリジナル曲を演奏して、当時いかに時代の先を
いっていたか証明しました。
中心メンバーは次の3人
細野晴臣(ベース)
エイプリル・フール、はっぴいえんど、ティン・パン・アレーを経て、
YMOを結成。YMOのリーダー・プロデューサーであり、
シンセサイザーとコンピュータを用いるYMOの独自の音楽スタイルを
打ち出した方です。
高橋幸宏(ドラム・ヴォーカル)
サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスを経てYMOに参加。
YMO参加をきっかけに、機械のビートと同期してドラムを演奏した
最初期のドラマーです。
いまでこそ珍しくはありませんが、ドラムを叩きながら
自らヴォーカルをとるという”異色なスタイル”で演奏したのは、
この人が最初と言われています。
また、ファッションデザインの技能を生かして、
YMOではステージ衣装のデザインを手掛ていました。
YMO散開後はソロ活動とともに、様々なミュージシャンとの
コラボレーションやプロデュース業を展開しています。
坂本龍一(キーボード)
YMOで唯一、音大出身のミュージシャン。
そのためTV番組等に出演した際に、”教授”と
呼ばれることが多々あります。(*^_^*)
スタジオミュージシャンとして活動した後、YMOに参加。
YMOでは松武秀樹とともにレコーディングにおいて、楽曲を構築する
重要な役割を果たし、またライヴでは楽曲のアレンジを一手に
担っていました。
YMO散開後、デヴィッド・ボウイ、ビートたけしと共に、大島 渚
監督・脚本の”戦場のメリークリスマス”に”Actor”として出演し
サウンド・トラックも手がけた事は有名な話です。
曲は”戦場のメリークリスマス”サウンドトラックより
”Merry Christmas Mr. Lawrence (Live Version)”です
”教授”の白髪具合から(爆)1990年代前半のものと思われます。
https://jp.youtube.com/watch?v=YwkuS9FlB7M
1990年代以降に活躍する日本人ミュージシャンの中で、槇原敬之、
宮沢和史(THE BOOM)、高野寛、テイ・トウワ、電気グルーヴ
(石野卓球)などは、YMOの音楽に影響を受けたと自称していて、
「YMOチルドレン」と呼ばれています。
能書きはこれくらいにして、私が好きな曲を厳選してお送りいたします。
若かりし頃の”教授”の映像など見所がいっぱいです。
高橋 幸宏さんが手がけたステージ衣装にもご注目でし(*^_^*)
まず手始めに、1stアルバム”イエロー・マジック・オーケストラ”に
収録されている”Rydeen(ライディーン)”という曲の
公式ビデオクリップです。
この曲は、ゲームの名称は忘れましたが、ゲームセンターに
置いてある”テーブルゲーム機”のBGMに使われました。
また、現在風にアレンジを施して、昨年キリンビールのCMにも
使用されました。
比較して聴いてみると面白いですよ(*^_^*)
https://jp.youtube.com/watch?v=sk6o4GWFIV8
https://jp.youtube.com/watch?v=pZ8tK3iFTpw
続いて、同じく1stアルバムにも収録されている”Technopolis”
(テクノポリス)の公式ビデオクリップです
https://jp.youtube.com/watch?v=7OOLxGjb3dY&feature=related
続いて、1978年発表の1stアルバム
”イエロー・マジック・オーケストラ”に収録された
”東風(TONG POO)”です。
1979年にロスのGreek Theaterで行われた
貴重な初期ライブ動画です。
https://jp.youtube.com/watch?v=vEZ3VxGWwjM
続いて、1980年に発表された3rdアルバム
”パブリック・プレッシャー/公的抑圧”に収録されている
” The End of Asia”という曲の1980年日本武道館で演奏された
Live映像です。
Live用にかなりアレンジされていますがオリジナルはとても
メロディラインが綺麗な曲です。
残念ながらオリジナルは見つかりませんでした
https://jp.youtube.com/watch?v=JdyE7GgL5zw
次は、1979年発表の2ndアルバム
”ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー”に収録されている
”BEHIND THE MASK”という曲の第1回再生(再結成)後
の1993年に東京ドームで演奏されたLive映像です。
判りにくいかもしれませんが、散開から10年経っていますので、
シンセサイザーがかなり進化して”教授”周りの機材が
すっきりしていて、音質もかなり向上しています。
https://jp.youtube.com/watch?v=JVkhYZBTOqw&feature=related
次は、1983年に発表された事実上のラストオリジナルアルバム
”浮気なぼくら”に収録された曲”ONGAKU”です。
テロップにあるように、この曲は当時3歳だった”教授”の
愛娘”坂本 美雨”さんの為に、”教授”が作詞・作曲・編曲の
全てを手掛けた曲です。
場所は不明ですが、第2回再生後の2007年のLiveからの映像です。
https://jp.youtube.com/watch?v=J62ftqlTl74&feature=related
ラストを飾るのは、1981年に発表されたアルバム「BGM」から
シングル・カットされた”CUE”という曲です。
この曲は、YMOの曲では珍しく作詞・作曲・編曲のいずれにも
”教授”がタッチしていません。
そのため”教授”の担当するパートが無く、
”教授”は仕方なく(爆)ドラムを叩いています(*^_^*)
詳細は不明ですが、”教授”の白髪具合から察して(核爆)
2007年位のLive演奏かと思われます。^^
https://jp.youtube.com/watch?v=8vWtVE3Ib5k
私がYMOの曲の中で、特に好きなのが”ONGAKU”と”CUE”です。
調べているうちに知ったことなのですが、YMOはUSAでデビューして
日本に逆輸入された帰国子女(爆
グループだったらしいです。
まだまだ紹介したい曲は沢山あるのですがまたの機会に(*^_^*)
動画の貼りかたを教えてくれた、ゆうな(´・ω・`)ゞ 姉さん
ありがとぉ!! d(≧▽≦*)超嬉しい!!
次回は”私の音楽嗜好を決定したArtist その②”ということで
秋に来日する”BILLY JOEL”の特集をお送りいたします。
-ここからは最近表ログにお寄せいただいたコメレスです-
>> アントキノ葉月 さま
折角おいで頂いたのに申し訳ないっっっ(*^_^*)
本日の表ログはコメレス以外全く意味なしです。
内容が判らなくて当然でし^^;
それにしてもアントキノ葉月 さんにしろ、ミサキ さんにしろ
ゆうな(´・ω・`)ゞさん繋がりの人は楽しい人が多くて飽きません。
私も含めて似たもの同志、みんなで広げよう”あふぉ”の輪^^
という事でこのログの更新が終わったら、登録飛ばしますので
(o´'ー'`)ゞヨロピク!
>> ゆうな(´・ω・`)ゞ さま
お陰さまで無事動画が貼れました。
(o^o^o)あ(o^-^o)り(o^o^o) が(o^O^o)と(o^.^o)う
>> くらら さま
ん?お目にかかれたたっていうのは”ロベリア”にって言うこと?
それともPCからデジにアクセスできるようになったって
言うこと??
>> ミサキ さま
わざわざコメントありが㌧
ゆうな(´・ω・`)ゞ姉さんに教えてもらったので
大丈分でし (*^_^*)v
尚、画像は記念すべきYMOのデビューアルバム
”Yellow Magic Orchestra”のUS版
(オリジナルをRemixして1979年にUSAで発表)
のアルバムジャケット画像です。
ジャケットのデザインがこちらの方がいいので、こちらの画像を
貼らせて頂きました(*^_^*)
このウラログへのコメント
さすが姉さんだスリスリ(/^-^( 人 )←オシリ
優すぃぃ♪
教授は「僕の殆どは10代にできたものだ」と娘サンに勉強の大切さを説いたそうです。雑学王に挑戦!(嘘)
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