- 名前
- イチゴちゃん
- 性別
- ♀
- 年齢
- 42歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- 毎日元気に働いてます ゆっくりだけど、はっきり喋ります^^ 嫌がらせを受けていたの...
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同僚シンディー続き
2016年12月05日 12:42
ウラに続き、同僚のシンディーのお話をします。
シンディーは今でこそ英国貴婦人と呼ぶにふさわしく
知性もあり、マナーもバッチリ
もちろん英語はイギリス人のそれと遜色ありませんが
脱中国当時は、人と会話を成り立たせることさえ困難だったそうです。
結果としてロシアの町に紛れ込んだシンディーですが
行程のほとんどを、徒歩で移動したそうで
たまに通りかかるトラックが大型だと、休憩中のトラックの荷台に紛れ込み
ナンバーすら読めないので、意図しない方向へ走られるのもしばしば(太陽が通らない方向へ行こうとしたのに、太陽のある方向へ走り出した「方角というものがわからないので、いつも嫌なクズ鉄稼ぎに行く方角(南)の反対(北)に行きたかった」)
と、国境を知らない彼女は
警備所の柵をどちらかに伝って行くと、柵が一切無いというのを学習して
警備している近くになると徒歩で森や雑草生い茂る中を歩き、人と会うことを避け
とにかく行ったことの無い場所へ(村は広いと思っていたそうです)
途中、雪が降り始めると空き家や穴倉を探し
トラックの荷台などから盗んできた毛布や藁などを暖房代わりに
一度だけ見た優しい外国人(おそらく観光客で、茶色の髪にまつ毛の長い、お菓子をくれた優しい人)がいる村へ行きたいという思いだけを支えに、ロシアの冬を乗り越えたそうです。
後に英国人認定される際に、一度どのルートを通ってロシアの町で保護されたか認定作業があったそうですが
中国からモンゴルに入り、再び中国に入り
そこからカザフスタンを通ってロシアに入ったとわかったそうです。
何台ものトラックに紛れ込み、時に留守の民家のガラスを割って侵入し
食料を盗んで食べ、気づいたときには町の片隅で絨毯の切れ端を広げ
唯一読めた「食品(日本語で食べ物)」の中国の字を
落ちていた石炭で石に書き
町の人たちの施しを受けていたそうです。
物乞いは2.3ヶ月ほどしていたそうで
調子がいいときは、ウォッカなどのアルコールが貰えるので
通りがかる人に買ってもらったり(食べ物と交換してもらったそうです)
何ももらえないときは、街を彷徨って食べ物を拾う(軒先などに、野菜が保存されているので
それを持ってきて食べる)
それでも、村にいたときよりも「両親のためにお金を稼がなくていい」ので、
とても自由なのが嬉しかったと教えてくれました。
たまにお金持ちな雰囲気の男性が寄ってきては、お金を数えながら何か言ってくるので
(お金をあげるから、俺としろ)だと察知したそうで
とにかく走って逃げたそうです。
ちなみに、この時シンディーは
行為=家族と同じ部屋で行う
行為の内容=顔が歪むほど痛い
と思っていたようで(村で生活していた際、両親はシンディーの真横でしていたそうです)
痛い思いをするのは嫌だ、とにかく逃げればいい
それだけ考えていたそうです。
これらは明日以降のウラで語ります。
冬は民家の暖炉のすぐ横が温かいことを発見し
なるべく壁ギリギリに暖炉を作っている家を見つけては、壁に背中をつけて眠ったり
(イギリスの古い家では大抵、暖炉は家の真ん中に作っていたりします)
ロシアは暖炉にくべる木の販売が少ないのを発見したそうで
斧を盗んで、木を切っては薪として販売(相変わらず、食料と交換したそうです)
滅多に出ない「服のゴミ」を見つけては、大きさに関わらず暖房代わりのため重ね着したりと
とにかく生きることに必死だったそうです。
やがてボスに見つけられ、数多の親切を受け
難民に近い状態でイギリスに渡った際
いろんな初めてに触れたと教えてくれました。
生まれてから一度も切ったことの無い髪を、初めて切った話や
自分の村でも1件だけあった食事処(簡易なレストラン)に入ったことないのに
イギリスでボスが連れて行ってくれたこと
華やかな服を買って、初めて着たこと
そして、「君は僕に借金があるんだ。
借金は僕が君に貸したものだ。だから、返すまで絶対に死ぬな(自分で命を絶つな!という戒め)」
を、会うたびに言われた話など
人を信じず生きてきた彼女にとって、ボスの冷たい言い方にもとれるこの台詞は
何より(生きて恩返しをしなければならない)と思わせてくれたそうです。
大学を卒業してから、ボスのオフィスで働いて約4年後
ボスに呼ばれ「君の借金は、完済してもらったよ。頑張ったね。」
の言葉とともに、契約書と確認書を渡されたそうで
読んで確認すると預かり書(日本で言う、銀行通帳)
ボスは返済金を毎月預金して、ちゃんと貯めていてくれたんだそうです。
なので、シンディーのほうが1つ年上なのに
仕事が終わると、ボスのことを兄のように慕うわけがわかりました。
シンディーはこれからも中国に戻るつもりはなく(中国では無戸籍なので、そもそも帰れない)
イギリス人として人生をおくると、熱く語ってくれました。
自分が辛いときに助けてくれたのは、モンゴルで馬に乗っけてくれたおじさん・カザフスタンでイモをくれたおばさん・ロシアでご飯を食べさせてくれた老夫婦、そしてイギリスの人たちだそうで
中国では何一つ助けてもらえなかったし、誰も関心を持たなかったから
私もそんな国には行きたくない!と
頑ななまでに嫌悪感を出してました。
実際、彼女とロンドンで書類配りで同行したりすると
他の観光客には寛大で優しいのに、中国人団体客にだけはかなり厳しいです。
(ビッグベンを歩いた際に、中国の方々がうるさかったので
ものすごい早口の英語で罵声を浴びせてました)
まあ、シンディーの人生を思うと
その気持ちもわからなくないな。
私も、そこまで過酷じゃなかったですけど
似たような人生だしな。
と考えると、彼女を抑えることくらいしか出来ず・・・
そんなシンディーは、私の親友とかつての同僚なので(親友は、亡くなるまで同じオフィスでお仕事してました)
共通の話題がいっぱい。
シンディー自身の境遇も手伝って、遠く離れた日本にいる私のことをいつも聞かされていたらしく
シンディー「いつかあなたの妹(私のこと)がイギリスに来たら、私が一番親切にするんだから」と
常々親友に話して、病床の彼女を励ましてくれていたそうです。
実際、親友が送ってくれたメールや直筆のお手紙には
ボスやお局様だけでなく、シンディーのことも同僚のこともたくさん書いてありました。
なので、シンディーにとって「日本人の私に親切にする」ことは
義務だとか同情でなく、「親友の妹だから、私とも親友なのよ」という考え方なんだと
改めて気づかされました。
その後、3人でお局様行きつけのレストランに出向き
軽い乾杯のあとに、お局様の恋愛話に火が着きました
(お局様は、35歳の日本人男性に恋をしています)
先日の日本滞在話や、彼が観光案内してくれたこと
かんざしを買って、髪にさしてくれたことや
プロポーズを受けたことなど
とても70歳とは思えない、乙女のような反応をしていました
ママ(お局様)の幸せを心から願うシンディーは、大喜び
どうやら、IT系のお仕事をしている彼氏は
ネット環境さえ整っていれば、世界中どこでも働けるようで
年明けにでも、お局様と結婚するそうです
結婚してもアパートは引っ越すつもりは無いそうで
シンディーも安心してました
家族がないシンディーにとって、お局様とボス、副ボスは
かけがえのない家族ですからね
ガーデンパーティー式で結婚するというので
イギリスで初めて、結婚式に参加できそうです
シンディーもいい人が見つかればいいんですけど
「男は嫌」なんですって
めっちゃくちゃスタイルいいのにな
勿体無いな
でも、シンディー自身が幸せなら
それが一番です
このデジログへのコメント
そういう子供たちがいるというのは話には聞いてましたが…。
わあ、素敵な友達に恵まれて良かったですね^_^
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