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フィレンツエの想い出

2016年11月17日 17:19

フィレンツエの想い出

10年前に仕事でイタリア古都、フィレンツエに1週間ほど滞在できる機会があった。

そのときの想い出が深い印象となって脳裏に残った頃、古書市で素敵な本を見つけて求めた。

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※下記の文章は、とくだ邦子様著書「フィレンツェトスカーナ」より抜粋いたしました。


夕暮れ時、アルノ川沿いに琥珀色の灯がともる。そのころ、シェナにも
 
 コルトーナにも同じ色の灯が点々と街を縁取っているだろう。

  透明のガラスからもれるふわっとした柔らかな光に数日間の出来事が蘇る。
 
 帰りたくもあり、帰りたくもなし。


 延々とよく歩き、よく待たされ、よく間違えた。不安だらけだったがそんな
 こと大した事じゃなかった。ここでは数百年と人々はみんなそうして暮らしてきた。
  何でこんなにせっかちになってしまったのか、便利になりすぎてかえって不自由
 になった。何でも「早く、早く」といいじゃないそんなに急がなくても、と
 言われればそんなに急ぐ理由もないことが多い。

 まだ駆け出しの頃、現地人ガイドに「早く、早くって、何をそんなに急いで、早く
 死にたいのか」と言われたことがあった。仕方ないさ、そんなにイライラしたって
 着くときには着くさと言いたかったのだ。机上で作成されたツアー予定は現地で
 は計られたとおりに進むわけがない。

 思わぬ交通渋滞見学先の混雑、時間計算の間違えなど茶飯事のことだった。
 あの時、どんな反応をしたか忘れてしまったが、それよりも言われた言葉がずっと
 後まで心に残った。1日中、早く早くと云ったって世界中同じ時間で動いている。
 ラテン人の感覚で見たら日本人はずっと走っているように、棺桶まで走り続けるの
 
 かと思えるだろう。なんだか可笑しい。
   外人ツアーの、のんびりしていること。あちらのツアコンが羨ましいことも
 あるがあれはあれで苦労はあるらしい。時間どおりに事が運ばない、それでよく
 飛行機に間に合うかと感心するがきっと最後の殺し文句があるのだろう。
  
   時間を守る日本人は好まれるが、せっかちな日本人は無視されるのは本当だ。
  イタリア人はせかすと怒り出す。そこの相性はいたって悪い。それでもまだ
 北イタリアはましなほうだ。ずっと昔からおじいちゃんの仕事、お父さんの仕事を
 見て育った少年は、毎日あの建物を作っているけど、いったいいつ出来るのかなと
 想いながら自分も同じ仕事に就いていた。と、この差にある。 とりわけイタリア人だけが持つ気の長さでは  ない。長期的展望というと聞こえは 良い、辛抱強く、保守的マイペース、お金の計算が遅いくらいで待てば 
 いいじゃないか。10日で家が建つ国とこっちは土台が違うんだ。
 
 良い、辛抱強く、保守的マイペース、お金の計算が遅いくらいで待てばいいじゃ
 ないか。10日で家が建つ国とこっちは土台が違うんだ。と、そんなことは
 云わないだろう。10日で家が建つことなんて皆、知らないのだから。
 もし、それを知ったら、みんなで大笑いした挙句さらに尾ひれを付けて笑い話の
 ネタにされるのが落ちだ。

 石畳の道路は確かに歩きにくい、クルマの運転にも震動が伝わる、それでも街は
 アスファルトを拒否し石畳を守っている。
  これだけのクルマが行き交う中、休日のフィレンツェ自転車の波に何事かと
 思う。コンビニ自販機も、この街には似合わないと気付かない人は、明日からの
 健康に注意した方がいいかもしれない。点在する丘の上の小さな村々・・・過疎など
 どこ吹く風というような人々の暮らし。それを懐かしみ愛しむ世代の多いことには
 驚かされる。



  物の持ちの良さ。使えば使うほどに味が出る。職人の親方(マエストロ)は未だに
 見習いを集めてはこつこつと働いている。途方もない時間を費やして建てた財産
 愛で方を子供の頃から見て知っている。これには負けた。
 手入れを決して怠らない。石畳の補強に、教会や宮殿の壁の化粧直し、家庭では
 ソファーの張り替え、テーブルの足の付け替えから大理石や石の床磨き。
 大切にと繰り返し、あきらめない、捨てられないのだ。石や木は永遠の時を
 語り継ぎ、のんびりと贅沢に時代遅れなど気にせず、少々の傷を手で撫でられながら
 堂々と生き続ける。


 旅行前の不安などは街を歩いているうちにとっくに消え去り、あたかもここに住み
 続けていた人のように平然さを取り戻し過ごす。
 それよりも、時間の持つ遊び、余裕を旅に出て少しでも思い出す。
 立ち止まりたい、忘れたくない、豊かさとはいったい、何だろうと思う。
 豊かさゆえに犠牲にしてきたもの、古さゆえに犠牲にしていくものに気づく。

 物言わぬ街並は遠くからやってきた人々にこんなに愛されている。それもこれも
 受け継がれてきた人々の誇り高い精神で磨きをかけられ魅力的に生き残っている
 からだ。無機質な超高層摩天楼の街並では感じられない物たちの息遣いを確かに
 感じるのはやはり人は古のぬくもりを必要としているからだろう。プラスティック
 な味に物足りなさを感じたら本物を求めまた、ここに訪れよう。
 アルノ川に吹く風もやがて冷えてくる。数日間、本当によく歩きよく訪ねた。
 この石畳も名残り惜しいが今夜はゆっくり眠りたい。

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アルノ川の画像は自分で撮った画像です。

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