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differentを教えてくれたスイス・シュパルルホルン

2016年11月09日 09:30

differentを教えてくれたスイス・シュパルルホルン

友人とは、3年前の夏に上野アメ横バッタリ知り合って意気投合して焼き鳥乾杯してから
スマホのWhats Appというアプリで連絡を取り合いながら来日するたびに親交を深めて
タトゥ・アーチストである彼の日本びいきというか和への親しみに少しずつ協力してきた。
「タトゥのショップを拡張するのでそのオープンパーティチケットを送るから是非、来てほしいと
誘われたが、長い休みは摂れる時期でなかったので丁重に断った。
今年から、新しい職場に来て休日も取り易い環境になった。春先に友人が来た時に上野小料理屋で「今年はもしかしたら行けそうだから」と言ったら「是非、実現させてくれ。待ってるから」そんな返事だった。
とっくに切れてしまったパスポートを取直し、HISに飛行機チケットを申込み頼まれモノや土産などに奔走し展示品のスーツケースを安く入手し着替えとともにそれらを詰め込んでバンコク経由で
チューリッヒまで来たけれどそれはそれは遠かった。
友人の奥さんに「スイスと日本は違うのよ。私たちが東京に行ったときにはあなた達の勧めるように食べるし、過ごす。だから、スイスでは私たちの勧めるように過ごすといい・・・」

先に書いたdifferentの意味を痛烈に受け止めたのはこの時だ。

平たく言えば「郷に入れば郷に従え」と一緒だが、年間を通してヨーロッパアジア含めて色んな国を数えきれない旅を重ねるこの夫婦から言われるとそこは深い。

そんなことを考えてるとのどが渇きを癒したくなり、ペットボトルを出して僅かのレモン風味の水を口に含む。蒼い空、深い緑と褐色の石や岩・・・水もまた格別だ。
沢を下りながら、徐々に深い谷と吊り橋の断片が見えてくる。
やっと、コース半分近くまで差し掛かった頃には左の内腿の痙攣みたいな痛みは激しさを増していたが、長い長い岩が横たわる広い場所に出た時に友人の地元の知り合い一行に出くわした。
ドイツ語で話すからわからないけど、「日本から来た友人だよ、今日はこの日本人にこの山を教えたくて登ってきたのさ・・・」「へえ、そうかい?日本からねぇ・・・」そんな会話だったろう。
いくらか、英語も話せそうなので話しかけて「今度、時間があれば日本に来てみたら?東京でお会いしましょう・・」などと持ちかけたら「悪いけど、この国の山とワインチョコチーズがあればそれだけでいいんだよ。東京は人が大勢いるんだろう?365日この国から出るつもりはないね」などとにこやかに答えてくれた。

こんなに良い処を毎日味わって暮らしてるのに、何が悲しくてアジアの島国なんかへ行かなければならないんだい?そんなところだろう。
現実に、ナショナルペーパーという地元紙によればこの国の観光客は地元スイスドイツイギリスの3国だけでほぼ7割くらいを占めてしまう。あとはインド中国など数%の割合でドングリの背比べだが日本など最下位で2%にも満たない。
それだけ、日本文化も交流もないし知らないということだろう。

橋を渡りきったところで休むはずが風が冷たいからと更に登ることになって、疲労感が増してきたがいうことを聴くしかない。
ペットボトルの水はこの時点で半分以上残っていたがそこで安心してしまって口に運ぶというよりこの後はがぶがぶと飲む様になってしまった。
友人のペースが上がったようにも見えるが実は自分のペースがかなり落ちているのだ。
所持してるスマホは心拍を測れるのでやってみたら140だった。
普段は78位から88前後なので、結構しんどいはずだと自分に言い聞かせたが来てしまった以上、こんなところでへばる訳にはいかない。

あざ笑うかのように、10歳くらいの子供が親に連れられて反対側から登ってきてニコニコしながらすれ違う・・・・・。友人は「ほら、こんな処あんな小僧でも平気で登ってくるんだぜ!まだまだ、いい大人がへこたれちゃ恥ずかしいぜ・・・テクテク進めよ・・・」
急な下りになり、岩も石も大きくその分回り道をするように降りていく、段差も急だ。
ステッキは2本とも手に握り、手で岩につかまる様に降りていく。
くっそー、もう少し低い山はなかったのかよとまた心の中で叫びたくなるが仕方ない。

両腿の傷みを抱え、慣れぬ靴のくるぶしの傷みやしびれも忘れ火照った身体全身とドキドキの止まらぬ心臓だけを気にしながらひたすら下り歩いて行く。
ダムが見えてきたころにはいくらか身体の火照りも収まった様な気がして足も楽になった。

やった、とうとう此処まで来たぜとダムを観た時にはなんだか感無量だった。
ダムへ降りる階段の上で写真を撮ってくれたがここで撮った写真は一生忘れないだろうと思った。ダムへ降りてダムの全景や下を望むときこれを作った先人たちの苦労を思った。
富山の黒四ダムにも昔、会社の慰安旅行で行ったことがあったが、このダムはまた凄いと思った。反対側から鉄骨の階段を上るときは忘れていた足の傷みがピークに達しまるで壊れかけのロボットの様な動きしかできなくて踊り場で休み休みでないと登れなかった。

既にペットボトルは空でのどが渇いていても癒やせない。
山岳パトロールクルマに友人が親指を挙げてヒッチハイクを求めたが無視されてしまった。
足は痛かったがケーブルカーパーキングまでは舗装路だ。ステッキを使って急な下りも上りもない。
キャンプ場のトイレを見つけて水を飲む、生きかえった気分だった。

こんな苦しい山ならもう沢山だと思った自分とまた、これくらい登ってやるという自分もいる。
加圧トレーニングと一緒で高い処の気圧の薄い処で鍛えれば東京の平地での暮らしなど
へのかっぱかもしれない。
だが、課した目標を貫くのはもっと尊いし自信にもなる。
55を過ぎたサラリーマンの目標など会社の上司や所属部署から売上だの契約数字だの紙や画面で確認したりされたりするものになりがちだ。だから、暇つぶし通勤電車の中じゃほぼスマホしか弄れない中年が多いのもわかる。本を読んだり、アドベンチャーなどする暇もない。
帰宅すれば、独りの時間など持つべくもなく、女房、子供に手を焼きながらも生きている・・・。
そんあとこだろうな、実際自分も含めて。
帰国する前の晩、イタリアのストレーザから帰ってきたら友人が良く往く地元のレストラン酒場へ連れて行ってくれた。顔なじみの多い店でチーズフォンデュを御馳走してくれた。
これが実に旨くてパンの御代りを頼んだほどだ。
店のマスターか経営者か知らないけど、少しは英語ができるらしくて「ヤパン?スイスはどうだったい?」みたいな感じで話しかけてくる。友人が俺のことをいくらか説明すると「そうか、歳の割に肌の色艶がいいな、タトゥ入れてもらったら?」
友人が首を振り「そいつはこの日本人には無理だよ。習慣も文化も違うから。罪人みたいに見られたら風呂にも行けないんだろう?」と見返すように云う。
頷きながら「そうさ、俺は銭湯大好きだからな」

「だが、この日本人も結構やるぜ!初めて登ったあの山で音を上げないでついてきたからな。普通の東京にいる楽したサラリーマンオヤジじゃそうもいかない」そんあことをドイツ語で云ってたんだと思う。

多分、ウェイトレスだと思うが
友人にタトウを入れてもらった背の高いモデルみたいなお姉ちゃんが横に座って「お疲れ様!」とばかりに微笑んでくれて向かいに腰かけた後、友人が声をかけてくれて写真を撮らしてくれた。
その長い脚に彫られた薔薇刺青はなかなか凄かった。

まあ、少しくらいならそのうち・・・などと頭をよぎったものだが・・・。

数年ぶりの一人旅はこの山だけでなくいろんなことを自分に教えてくれた。
今度は、もう少し日本でも鍛えてまたここに戻って来よう・・・そんなことを思わずには居られなかった・・・・。

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