- 名前
- ぶだい
- 性別
- ♂
- 年齢
- 55歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 無機的な、 からっぽな、 ニュートラルな、 中間色の、 富裕な、 抜け目がない、 或...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
南朝か北朝か~安全保障
2016年04月30日 23:24
歴史が好きな人には南朝派が多い
理由は恐らく楠木正成や北畠顕家に対する判官贔屓や
時の天皇に弓を引いた足利尊氏を悪とした対立軸があるからだろう
このイメージを作ったのははっきり言うと明治政府
この南朝北朝の問題の本質的な問題についてはあまり語られない
一つの言葉のすり替えがある
南朝は「大覚寺統」で北朝は「持明院統」である
後醍醐帝は大覚寺統であり自らの皇子に皇位を継がせることにした
鎌倉時代初期に院政の弊害といっていいと思える皇位継承の問題が起きる
無責任な上皇が厄介な遺言を残し宮中は混乱し次期天皇が定まらなかった
院政下にあるから時の天皇に発言力もないし遺言通りの皇位継承をすると確実に皇統が乱れることは免れない状況だったと言える
その時よりにもよって皇位継承問題を赤の他人であり臣下に過ぎない鎌倉幕府に下駄を預けるという愚の骨頂をしてしまった、時は承久の乱が治まり鎌倉では三代将軍実朝が暗殺され幕府の先行きも妖しい時。
鎌倉では北条氏の執権政治が始まったばかりで宮中のお家事情に真摯に政治的解決が出来るような時ではなかった。
結果遺言を認めたくない時の天皇と遺言で次期天皇に指名された皇子が対立してしまう。
こんな簡単に書けるような事情ではないのを承知で書くが鎌倉としてはどうでもいい、そんな感じだろう、故に対立二つの皇統を創り交互に皇位を譲り合うという形で決着した。
先のも書いたが鎌倉末後醍醐帝はこの取り決めを破り尚且つ実力のない権威のみの天皇による天皇のための公家による公家のための空理空論でもって武家を排除し自らを皇帝にもし兵もないのに自らの武力でもって新しい政治を行うというよく分からない決断をした。
軍を掌握できない、もっというと武門という軍を掌握する力のある人々を軽視したためその後三世代にわたる戦乱の時代を「建武の新政」という洒落でもって作ってしまった。
あらかたは足利尊氏が室町幕府を開き解決した
この時代は「太平記」という更に輪をかけた洒落た軍記物で楽しむことが出来る
ただで安全は変えないしただほど怖いものは無い
このデジログへのコメント
> 魔女さん
書いている僕も自分の勉強のために書いている部分がありますよ
事実誤認があったらどうしようって
コメントを書く