- 名前
- ウルトラ7
- 性別
- ♂
- 年齢
- 63歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- ガツガツして欲しい貴女、他の方をお訪ねください。 まったり、ねっとりの専門店です。但...
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周恩来と桜
2016年01月14日 12:47
DVDで『BONES』
最新シリーズ 視聴
ギャンブル依存症!
己の弱さと向き
合うブースだが…
迷子?
ハイ! 大得意(* ̄∇ ̄*)
超弩級の方向音痴です!(×_×;)!
例えば、ビルのエレベータ。
目的階で降り、右に曲がるとする。
昼食で一旦外出。戻ってきた時に、平気で左に曲がったりする。
バカだ俺┐(-。ー;)┌
ところが、都内23区内限定ならば、家探しは大の得意。住所が判れば、初めての土地でも然程迷わない。中野区で新聞配達してたお陰。
東京の地名は、昭和44、5年を境に現在の名称に改められた。
神社があれば「氷川町」
桃の香り漂う「桃園町」
花咲き乱れる「華州園」
etc.
本来なら意味があった地名も今は全部「東中野」になってしまった。
戦後の焼け野原の東京に、東京の若者は死んでしまって居なかったので、お役人や警官は地方出身の人が多かった。
古くからの地名に愛着等ある訳がない。その改ざんに容赦はないし、管理しやすいように整理された。
だから、法則性が判りやすい(笑)
かくして、私は23区内の街中なら、まず道に迷うってことはない。
中野区の区報に周恩来総理の噂が載ったことがある。
どうやら、東中野に居たらしい。
若き日の周総理の足跡としては、新宿の早稲田や神戸が有名。関東大震災の直前まで日本に居たのは確か。東中野に住んでいたとして不思議じゃない。
有志が集まり、古文書等をあさり、古くから東中野に住む方々を訊ね歩いては聞き取り取材を重ねた。
そして、満州鉄道にお勤めだった赤羽氏の御自宅が東中野5丁目にあったこと、赤羽邸がその離れに中国の青年を書生として住まわせていたこと、等が判った。
大正当時のその一帯は、桜並木が見事なことから「華州園」と呼ばれていた。
日本の思い出に絡めて、桜の花をこよなく愛した周総理。
若き日の周恩来青年には「華州園」の桜並木がどのように映っていたのだろう?
郷土史の研究って、地味なんだわ。けど、やると嵌まるかも(笑)
このデジログへのコメント
由来のある地名から色んなコトが紐解けたり。
覚えやすかったりあるね笑
> cho-coさん
笑ったのが
文献にしか出てこなかった
『華州園』の呼び名
東中野5丁目を歩いている時に
ヒョイと見上げて見ると
電柱の個別の認識番号が
『華州◯◯番』
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