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文で伝わる「事実」はないを前提

2015年11月29日 07:18

一杯のかけそば」という童話
ブームになったことがありましたけれど
覚えていらっしゃいますか?

検索すれば、どこかで調べられると思うので
あらすじは書きませんが
作者が実話だと話していた内容が
実は、嘘というかフィクションだったと判明。
別の意味で騒動になり、平積みだった本が
あっと言う間に消え去りました。

あの時「騙された」と話す人の多かったこと。

作者が実話と嘘をついたのは、確かに悪いけれど
事実だろうと創作だろうと、世間の大多数が涙して
感動できるお話しだったから、売れた訳です。
それのどこに怒っているのかが、正直理解できず。
騙されたという人に、一体何の損があったのか
そもそも、何に騙されたのかと、心底不思議でした。

だいたい「事実」とか「実話」というのを
どう定義するのかさえ、問題です。

ある出来事があって。
私がそれを書いて伝えようとした時点で
もう私というフィルターが入るのだから
それは、どんなに時系列に沿って
感情を排除して淡々と描写したとしても
相手に事実が伝わるとは思えません。

さらに言えば、文を読む人にも
それぞれのフィルターがあるわけです。
読み手は、書き手の意図とは関係なく
自分の勝手な解釈で、文を読むのだから
文章から事実を知ることは決してできないし
ある出来事の一面に触れるに過ぎないでしょう?

自分の解釈を通した時点で
出来事はもう、嘘や虚構であることを前提で
どの文章にも触れるべきというのか。

そういう意味で、私のログに本当のことはないし
私が読む機会を得たログにも
相手が考えることの一部が見えるだけで
その人が分かるだなんて、考えられません。

私のログに興味を持ってくださる方に対しては
単に自分の理想から真摯でありたいと思うので
自分の思っていることを、丁寧に書こうと
心がけてはいますが。

結局、書くという行為は、人の為ではなく
自分の為だけっていうのが、正直なところでしょうか。
言葉で事実を決めて、世界を作るような感じ。

もし作家だったら、その世界を完璧に創り込んで
そこに読者を引き込むのでしょうが、それさえも
完璧な世界のどこを見るのかは読者の勝手で
著名な作家が創った世界だとしても
その全貌は、やはり分からないままなのかなと。
そう考えてみると、私が思う世界では
作家は、不毛な作業をしていますね^^;

でも、その不毛な作業で見える沢山の物たち。
その一つ一つが、自分のいる世界のヒントみたいで
私はとても楽しいのです。

朝から考えたり、文章を書いたりしていたら
(文を打つっていう方が、正しい描写ですかねw)
お腹が空いてしまいました。
朝からご飯がすすみそうです。

このデジログへのコメント

  • あにす 2015年12月01日 20:52

    > モチモチのきさん
    たしか、そばの値段だったと思います。
    時代設定に対して、かけそばの値段が
    高すぎるという指摘ではなかったかと^^;

  • あにす 2015年12月01日 20:58

    > sa_toさん
    感情の揺れは、全て自分の責任だから
    自分の世界観とは全く異質の考えに触れた時に
    自分はどう反応するのかを知るのにも、読むことは
    有効かなと思っています。

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