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九月

2015年09月19日 09:50

九月

九月のある朝。初秋の微風が市街の上空をそよそよとゆれ渡つてゐた。めづらしく平穏な朝で、天と気は澄みわたり、太陽の光りが輝やき充ちてゐた。北輝雄は未だ夏期なつの暖ぬるみの去らない光明を頭からいつぱい浴びながら、無細工な大きな卓机にもたれかゝつていゝ気持でうつとりしてゐた。やうやく三十分前ばかりに眼を醒ましたところだつた。彼の勉強室でもあり、仕事室でもあり、応接室でもあり、また食堂でもあり、一日の働きの疲労をねぎらひ、新しい次の日の精力を恵んで呉れる寝室でもあるその一室には、未だ昨夜からの薄ぎたない寝床がそのまゝに敷かれてあつた。窓際からは、本郷の高台の深い樹木の茂みや折り重なつた建築の断層が蒼い天の下に見え、窓先の無果樹の大きい葉がそれらの視望をゆすぶつてゐた。彼は決して、八畳の部屋に雑然と置かれた卓机や、書架や、一方の壁にはりつけてある世界地図天体の星図や、地図の上にかゝげてある耶蘇釈迦の肖像などと部屋の中央に敷かれてある夜具の不調和を見ないわけではなかつた。いつもだつたら彼等自身への申分けのやうに、顔を苦々しくしかめて夜具を押入へ投げ入れ、庭園の井戸端へ出て冷たい水を浴びて来なくては承知しなかつたであらうが、今朝は、ふつと眼を醒ますと、さあつと朝光の流れがまともに彼の頭上に溢れかゝつてゐたのだ。昨夜雨戸をしめることを忘れて寝た偶然が思ひがけぬ喜びの因となつたのである。彼は蒼い天に輝く太陽を仰いだとき自分は祝福されてゐると信じないわけにゆかなかつた。この天と太陽は今朝は自分一人のために自由で無果で偉大で熱烈であるのだと思はずにゐられなかつた。それ故彼はむつくり起き上がつて椅子に腰かけ卓机にもたれかゝつたまゝ、一切から解放された美はしい光輝にうつとりしてゐた。微風がそよぐたびに、無果樹の緑紫の色葉がゆれるほか、この瞬間の彼自身にとつて全宇宙と雖も何するものであらう!「いゝな。」と彼は無意識にうなづいた。あゝ、生気と力と美に荘厳されたこのひとゝきの世界よ。
が、このひとゝきは、自おのづから生じた何故とも知らぬ深い大きい溜息で破られ、彼の魂に不快な暗い陰影が生じて来た。それは魂の高揚と充実がほぐれかゝる空隙にしみいる悲痛な、暗い生活の陰影であつた。(何故自分はこの壮大な歓喜に永住することをゆるされないのであらうか。何故自分はこの悦ばしき高揚に脈うつてゐられないのであらうか。)彼はまた深い大きい溜息をついた。もう歓喜の波は遠のいてしまつて、悲壮な気持が、彼の苦闘と勝利につらなる現実の生活に対し、堅い堅い「きつと勝つて見せるぞ」と云ふ信念となつて相対してゐた。
彼の部屋はある旧華族の有つ果樹園の中の一室きりの平家だつた。以前、この果樹園の持主が本気で果樹の栽培をやつてゐた時分は手軽な休み所として建てたものであつたらしいのを、今年の春以来、自分の住居として借りてゐるのである。都会の真中で新鮮な空気と広大な天地を求めるにはこれより他に道が無かつたのだ。やがて、北は夜具をたゝみ、障子を明けて戸外へ出た。巴丹杏や林檎や蜜柑の樹が雑草の生ひ茂つた荒れはてた庭園いつぱいに枝を交へて、どれも虫がついて早熟したらしい果実が鹿野子色、黄色、緑金色の色合を澄み渡つた秋空にはしらせてゐた。井戸端に来ていつものやうに素つ裸かになつて骨つ節の太い肉附のひきしまつた自分ながら頼もしい皮膚の表面へ肉体からだをいたはりながら頭からつゞけざまに冷水を浴びる。白い水に日光きらきら光りほんのり血がのぼつてくる健やかな美しさ。十杯もあびてゐるうちに、身内から凛々たる精気が一種の戦慄となつて湧きのぼつてくる。彼はぶるぶる武者ぶるひをしてしばらく木の間がくれに向ふの丘のあたりに見える建築を眺めてゐたが、そのあたりが大学の在るところなのに気づくと、どう云ふものか刺戟され、「さあ。」といふ気になつて、自分の部屋にかへつた。
朝起きの牛乳屋が寝てゐる間に土間に置いていつた牛乳と堅いパンが北の朝飯であつた。彼は幸福な太陽と大空との恍惚からはなれて、パンをむしりながら、新聞の外国電報欄を注意深く読みながら壁間の世界地図の上にその一字一句を明確に具象化することのたのしみにうつつてゐた。非常に根深い革命の事実は、鉄蹄の下に全地上を蹂躙する帝王や英雄の仕事の楽しみをもつてさへ彼の魂を誘惑しさうでならなかつた。実際近頃彼の心境はナポレオンを一概に批難し去る気にはなれないで、むしろ、あらゆる新聞が軽々しく論決を下す論調に腹立たしさを感ぜずにはゐられなかつた。ほんとうに、国家と国家の戦に流す国民相互の血が一片の理論や解釈によつて片付けられるほどに無意義でもなく、軽々しくもなく、その必然な真義はもつと止むを得ない根本的な命運であり宇宙的な進化であることを認識するならば、階級戦、――上と下との二つの力がきしみあふ革命に流す同胞相互の血を、まるで現代の被征服階級の単なる讐復慾や残忍さ愚昧さやまたは卑劣な野心家の策略などの生みだした仕事だと速断することはあまりに不快でもあり、嫌悪に値することだつた。そこにはもつと重大な深い必然性を認めないわけにはゆかない。お互に血と血を流し合ふことは決して容易なことではない。たとへどんなに野獣のやうな表現をとらうともその厳粛な内面の意義を崇高で悲壮な人類の進化の一歩でないと誰が断言できようか。

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