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Hシリーズ★(前日の続き)大津イジメ自殺?事件

2012年09月17日 20:01

私:「U原さん。死体が綺麗すぎる件で疑問を持っている人は多いです。親御さんも死因を知らされているだろうしおかしいとは思ってると思う」

U原さん:「やっぱりね。でも死んだ子かわいそう。暴力振るわれたりカツアゲされたり、蜂の死骸を食べさせられたり。どれだけ辛くて恐ろしかっただろうな。いじめっ子のヤツラなんて死ぬときは普通に死なずに思いっきり苦しみぬいて死ぬといいんだ」

彼女は目を潤ませていた。残酷なことをされ、先生も助けてくれない恐怖の中で死んでいった少年があまりにも不幸だと思ったのであろう。
彼女もまた心無い人々にいやな思いさせられてきた人、死んだ少年の痛みがよくわかるのだな。


ゆり:「U原さん、この件がきっかけになってその中学校改善されるのが亡くなった少年への供養。全国的に今後のイジメに対する警鐘になると思う。教育現場で『ずるいヤツの勝ち』なんて、もっとも教育上良くないことがまかり通っていいはずがない」

U原さん:「いじめっ子のなかの転校したひとりは、転校先でまた暴力振るって警察沙汰になったようですね。今度こそもう逃げられない。私、悪いことした人は必ず報いを受けると信じてるんだ。人にひどいことする人が一生幸福だなんて思えない」

そうだろうな。因果応報、何らかの報いはあるのであろう。少なくとも何かの不幸が生じたときに、本人が(これはあのときの罰か!)と心を痛めることになる。

己が罪におののくほど恐ろしいこともない。
自責の念に苛まれる。

だからこそ、身に覚えのない不幸が舞い込んだときに人は「神も仏もあるものか」と悲観するのである。

(ウラに続く)

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