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キリストの墓に、、まだ、、柵ができる前に、八戸の新郷村(旧戸来村)

2012年08月19日 01:01

キリストの墓に、、まだ、、柵ができる前に、八戸の新郷村(旧戸来村)

キリストの墓に行ってきた


 青森県の新郷村(旧戸来村)にはキリストの墓という物がある。トンデモ系の中ではそれなりに有名かもしれない。説明書きによれば

「昭和10年、茨城県磯原市(現北茨城市)から訪れた武内巨麿氏により、武内家の古文書をもとに発見されました。」旧、天祖皇大神宮(弾圧にあい)

古文書によると、ゴルゴダの丘磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うしたというのです。向かって右側がキリストの墓“十来塚”、向かって左側が弟イスキリの墓“十代墓”と言われており、毎年キリスト祭では慰霊祭が行われ、ナニャドヤラの唄と踊りが奉納されます。」

 地元の人も全く知らなかったことが、富山県より茨城県の旧神道家の家の古文書に残っていたというのが驚きですね(秘蔵し時期を見て天祖をオウやけに弾圧)。キリストの死後から伝えられてきたとしたら、その古文書古事記日本書紀よりも古い?日本書紀時は勢力により改ざん関東から東北津軽で栄えた津軽文書、遊べ族三内丸山秋田家、安部一族)(エミ討伐、花巻毘沙門天泣き相撲でTVにでます。、東北の王を足で踏みつけております。)

 ついでに同じ村の山中に、大石神ピラミッドという物もあります。同じく武内家の文庫に秘蔵された神代史によると、「わが国にはエジプトピラミッドよりなお古い数万年前のピラミッドが7基ある」ということで、同じく昭和10年に戸来村を訪れた日本画家の鳥谷幡山も大石神を見て「これで4個目だ」と喜んだそうだ。()1億5千年前の船津軽で見つかっております。)

竹内文書」の真偽についてのコメントは避けておくが、この地がキリストゆかりの地であるという根拠は他にもあるのだという。その根拠とは、

この地域の字「戸来(へらい)」という地名は「ヘブライ」が転訛したもの。

旧家坂口家の家紋ユダヤの紋章と同じ。(坂口家の家紋桔梗五芒星に見える。)

子供が生まれて初めて戸外に出すときに、額に十字を墨書する。

足にしびれが切れたとき、人差し指につばを付けて額に十字を3回えがく。

父親を「アヤ」、母親を「アパ」と呼ぶのは、「アダム」「イブ」の転訛したもの。

盆踊りの謎の文句「ナキャドヤラー、ナニャドナサレノ、ナニャドヤラー」は古代ヘブライ語で「お前の聖名をほめ讚えん、お前に毛人を掃蕩して、お前の聖名をほめ讚えん」と訳せるのだという。

まあ‥‥どうなんだろうか‥‥。キリシタンが隠れ住んだというくらいはあったのか、と思わせるロマンあふれる土地ではあった。

イエスキリストは二十一才のとき日本に渡り十二年間の間神学について修業を重ね三十三才のとき、ユダヤに帰って神の教えについて伝道を行いましたが、その当時のユダヤ人達は、キリストの教えを容れず、かえってキリストを捕らえて十字架磔刑に処さんと致しました。
しかし偶々イエスの弟イスキリが兄の身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。他方、十字架磔刑からのがれたキリストは、艱難辛苦の旅をつづけて、再び、日本の土を踏みこの戸来村に住居を定めて、百六才長寿を以って、この地に没しました。この聖地には右側の十来塚にイエスキリストを、左側の十代墓に弟イスキリを祀っております。以上はイエスキリスト遺言書によるものと謂われております。 どちらの話も、どこがおかしいというか、むしろ一つでも確かな根拠はあるのか? というような話である。

モウゼの十戒(十誡、じっかい、ヘブライ語 עשרת הדיברות‎)とは、モーセが神から与えられたとされる10の戒律のこと。石川県宝達志水町にモーゼの墓がある。   つぎに

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