- 名前
- ともの鶴見
- 性別
- ♂
- 年齢
- 76歳
- 住所
- 神奈川
- 自己紹介
- 横浜鶴見区、160cm/ 57Kg 60歳、 想いの心(魂)を磨き魂を輝かせていきた...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
不思議体験色々とさせていただきっました、
2012年08月18日 22:04
三内丸山遺跡縄>文時代前期中頃から中期末葉(約5500年前-4000年前)の大規模集落跡。より20Km離れた津軽半島「大平山元遺跡」、放射能炭素測定法で、16,500年前の物と判定があり、最古<大陸がつながっていたら海の塩の在る、日本が先?塩の道>、、、見てきました。
大平山元遺跡は津軽半島中ほどの蟹田町西外れに所在し、旧石器時代(約16,000年前)から縄文草創期(約13,000年前)にかけての遺跡。
昭和46年に発見された一本の磨製石斧がきっかけとなり、発掘調査の結果、旧石器時代末期の特徴的な磨製石斧と同じ包含層から土器片が検出された。
土器を伴わない段階と見られていた、旧石器末期に土器が発見されたことから“歴史的事件”として大いに注目さ遺跡現場Ⅰ 同そのⅡ写真
大平山元Ⅰ遺跡は私有畑地にあり、文様の全くない親指大の土器片が30点ほど検出され、他方大平山元Ⅱ遺跡は八幡宮境内にあり、地層・石器形態から約16,000年前のモノと見られる数多くの石器類のほか、石で囲った炉跡・焼け石なども見つかっている。
むしろ縄文草創期の隆起線文付土器に先行する祖源的土器と見られ、同一地層から出土した石器と見合う旧石器時代末期の土器と考えられる。
日本最古段階の土器と考えられ、樺太・北海道経由の北方ルートを辿り、遠くシベリアに土器起源を求める可能性を示すものとも云えるが、未だ大陸側には1万年以上古い土器の発見例がないと云う。
いずれにしても津軽半島には縄文文化黎明期を受け入れる文明力が十分備わっていたことを意味する、極めて貴重な発見であった。 <すでにキリスト教、津軽大津波で壊滅前に在り、八戸新郷町にキリストの墓あります。見てきました>
津軽、安部安東寺の住職に30年前ここに
いま発掘している、現場案内していただきました。
一万年から一万二〇〇〇年前頃に作られた丸木舟北陸の貝塚から発見
羽黒山で観音様の梵字を見させられ、出羽山本殿より>車道を降りて行者の火の行を行う所で、自分とお炊き上げ場と、社殿と、太陽を直線になるようにし、祈りましたら>梵字が、、漢字の<礼>に似た字でした。
花巻は毘沙門天で、古くて黒い観音様は黄金色に輝き>迫って来ました、ビックリして、引きの呼吸を止めてしまい、中程で消えました。
三内丸山遺跡も、岩木山神社も、つがる地蔵堂(イタ子の口寄せ恐山より先に)、大館のスト-ンサ-クル、五所川原の金木町()宇宙服みたいな遮蔽土器、 回答有難う御座います。
ロシアもNESAも調べたことは事実のようですね。
彼らは、否定しているが最新の技術があった
可能性は依然として残りますね。
土偶の表面には全面に酸化第二鉄を原料とした丹を塗っていた痕跡が残ってる。遮光器土偶は青森県の亀ヶ岡で発掘された。
制作年代は紀元前2000年~500年とされている。
それにしても、何を見て遮蔽土器を作ったのでしょう。
食物確保、生きるのに精一杯の時代に!
日本と書かれた石、弁慶がたちが東北に逃げた寺など、、、岩木山近くのお寺に入り>階段登り小高い所に巻物を開いて見ている白い観音様(家で見させられ見ている、、あっ)でした。写真に白いオーブがでておりました。
不思議体験色々とさせていただきました、まだまだ書けず。
人、男女の心身癒しの行>男女合体も意味あり?
このデジログへのコメント
コメントを書く