- 名前
- ぱすかる
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- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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衆愚政治
2012年07月03日 09:43
民主主義とは衆愚政治のことだ。
衆愚政治でイイ。
問題は自分が選んだ、あるいは自分で決めたことに、リスクをとればイイ。
これに尽きる。
しかし、日本人はこのことがからっきしわかっていない。
日本人がわかっているのは、票がカネになるコト、
選んだヤツはいいコトしてくれるであろう、という、都合のいい、あまりにもオメデタイ考えだ。
日本人はどうしても、選んだヤツに聖人君子を求めたがる。悪いクセだ。
徳川政府以来の、百姓町人の意識が未だに抜け切れていない。
ヨーロッパから明治以来、文物文明文化が有り余るほど入ってきたが、
個人という概念、インデビジュアル、individualがまだ、正当に理解されていない。
なぜなら、そもそも、日本人には明治まで個人が存在しなかった。
存在したのは、家であり、部落であり、村であり、集団しか存在しなかった。
であるから、
某々家の某、という言い方になる。つまり、肩書きだ。
今でも、名刺に肩書きをつけるだろ、肩書きがないと一人前と見なされない、
会社、役職が個人に優先する。
つまり、未だ、個人概念が成立していない。
個人概念が成立しているなら、名刺に個人の名前だけで十分なはずだ。
個人が会社役職に優先するはずだ。
うんだから、欧米では個人の倫理観や価値観が優先するから、
それに会わなければいとも簡単に抜け出る。
自分の子供が病気だという理由だけで、会社を辞める、プロ球団を抜け出る。
そしてそのリスクを一身に背負う。
そう、個人のリスクを背負うのが、個人の概念だ。
これが日本人にはいないと言わないが、きわめて少ない。
日本人の生死を握るのは、今でも村八分だ。
村から、仲間から、会社から、追放される、
死ぬより辛い。
うんで、個人概念は成立しにくい。
したがって、個人でリスクは取れない。
古代ギリシアのデモスを民衆に理論漬けしたのが、
そして民衆の集団を個人に理論づけしたのがジョンロックやルソーだ。
王の意思に対して民衆の意思が優先すると言っている。
市民とは、個人がリスクをとる主体として成立する。リスクを承知での個々人の意思が、
一般意志として、当時のルソーにはリアルに実感できたから、一般意志の正当性を説いた。
一般意志、簡単に言うと、ま、世論だわな。
つまり、社会を構成する市民が自分のリスクをとって、はじめて衆愚政治を肯定する。
リスクをとれば衆愚政治でも仕方がないという観念だ。
そこで初めて、民主主義は機能する。
であるから、
自分でリスクをとらない民主主義なんてごまかし以外の何でもない。
徳川政府の延長以外の何でもない。
おまえはハシタガネで票を売る。
おまえの人権はハシタガネだ、それもよし、それがおまえのリスクだ。
おまえの財産が、
おまえの女房が、
おまえの子供が、
知らないうちに、陰で
掠め取られる。むしり取られる、それがおまえのリスクだ。
おまえは投票に行かない、
票を捨てることで、おまえの生命財産をドブに捨てる。
それがおまえのリスクだ。
これが民主主義の恐ろしさだ。
おまえが投票に行かないのを一番喜ぶには、誰だかって?
決まっているじゃないか、盗っ人だよ。
国庫の番人だよ
倉庫の番人だろ。
おまえがアホであればあるほど、番人は肥え太るだろ。
うんで、おまえがアホになると、
聖人君子は盗っ人に豹変する。
ギャハハハ
盗っ人、バンザイ。
オレか、女のマタしか盗めない、ロクデナシでな。
ギャハハハ
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