- 名前
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- 取り柄と言えば優しさと包容力かな?大事にしている言葉は“創る”です。 どんな事にもオ...
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この1年で意識をしたこと…
2012年03月13日 12:17
意識と云うよりも改めて確信したことを綴ります。
私たちは生きていることを自覚しまっとうする努力をしなければなりません。
自分を大事にする事が家族を護る事に繋がり、力をつけることが人の為に役立つ人間になるということを…
人の命はそれほどの価値のある崇高なものだと思います。
それは、死の形で思い知らされます。
国の為、家族の為という大義名分で始まった戦争により、多くの命が失われました。
テロによる巻き添えの死は運が悪いとしか言いようがありません。
地震、津波のような自然災害による突然の死は防ぎようが無い死です。
交通事故などの不慮の死、
凶悪犯、異常者など憎むべき犯罪による無残な死、
そして自殺や餓死、孤独死のような社会現象の死。
その他、枚挙にいとまがないほどの原因で死が訪れます。
共通していることは、死と云う現象は一個の無機的な物体になってしまうことです。
それは、今までの存在と関わりが突然切り取られてしまったように感じます。
やりきれないのは災害や事故、犯罪で命を絶たれることですね?
今度の3.11の災害では色々な死の形を知りました。
最後まで住民に避難を呼び続けて逃げ遅れた市役所のお嬢さん。
消防団員の責任を全うしようとして救助活動に向かい、自分も犠牲になり、家族も流されたケース。
自然災害に加え原発事故により、丹精して育てた牛を餓死させ、行政の指示で薬殺しなければならなかった事に絶望を感じ自ら命を絶ってしまった酪農業者。
仮設住居に入った老人が故郷に戻る事も無く孤独死を遂げたこと、
どれも残念で悔しい死ばかりです。
僕はこう考えます。
故人の存在は、死を確認した時に永遠に固定されます。新しい思い出は増えませんが心に残る思い出は
DVDのように何度でも蘇るでしょう…
悲しい事では有りますが、どんな事も良い思い出に変えいつでも再生して行こうと思います。
法律とか近代技術に頼るのでは無く、一人ひとりが命の大切さをもう一度噛みしめ、生きていることを実感し、悔いの無い一生をめざして、毎日を過ごしていこうと思っています。
3.11の1周年を機に改めて感慨を深めたものです。
このデジログへのコメント
> うふさん
感謝の気持ちはひとの役に立つことをする力の源になります。
貴女の優しい気持ちが多くの人を癒す事でしょう。
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