- 名前
- Shun-ICHI
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- 年齢
- 35歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 2015年5月10日、リニューアル~ログ再開!! どうも、Shun-ICHI=シュン...
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【お題日記】忘れられない人は居ますか?
2011年11月10日 01:06
いますね、うん。
振り返って、自分の10代の恋愛では、もっとも好きだった人ではないかな、って思う。
10代の…って区切らなくても、22年間を通して、忘れられない人になりましたね。
結局5年間、厳密に言えば6年間くらいかな、ずっとなんだかんだで好きでした、けれど告白はおろか、気付けば目の前から消え、連絡先も変わり、最後に見たのは6年前。
また詳しく語ることもあるかもしれないけれど、とりあえずこれだけね、言うのは。
告白して玉砕するのも「脚本」としていい終わりだと思う、彼氏といるのを目撃して勝手に打ちひしがれるのもいい終わりだと思う。
ひとつ注文をしてもいいなら、とにかく何かキッカケが欲しかった、「忘れるキッカケ」を。
自身に「告白」という概念がないころから好きだった相手、『「好き!!」って言う…じゃあその先は??』、その先が思いつかなかった時から好きな相手、だからなんだろう、心の奥隅、本当に心の深くの壁に画鋲でその人がひっかかっている感じがする。
この先再会したとて、何かがあるわけでもないし、僕も別に期待などしてない、それは会う予感もなければ、会わないだろうという思い込みも加担してるのかもしれない。
だから、あながち「失恋」した、と強く心に刻まれているわけでもない、なんだろう、変な感じ。
彼女は僕らの地元を離れて、別の中学に行ったからずっと会わないままだった、中学3年生のある日再会した、メールのやり取りをしながら高校受験をのり切って、高校1年生の夏、祭り会場で再会した、最後にあったのはその時、そしてなんだかんだで大学受験が本格化する高2の冬のある日、メールをしたら連絡が出来なくなっていた。
今度の「受験」は一人で乗り切るのか、って思ったことを今でも覚えている、高校2年生の冬、12月だった。
大学受験中も、なんだかんだで、今よりもずっと強く心にその人が付いて離れなかった。
よく考えれば、恋人になれるなんてこれっぽっちも思ってなかったのになんであそこまで好きな気持ちが続いたのか分からない。他校の決して手に入らない「美女」を追うがあまり、目の前の自分がいる高校、クラス、廊下、くつ箱…きっと可愛い女の子がいたはずなんでしょう、気持ちが邪魔して気付けなかった。
この気持ちを打ち消してくれるような人がいないと、新しく誰かを好きになれないなって思ってた、そして高校生の時はそんな人なかなかいないだろうなって思ってた。
だけど大学って広いもんだな、はたから見ればそんなに可愛くないのかもしれないけど、やはりその時々で「運命の人」っていうのはいるんだって、大学に入ってわかった。
その人と同等、もしくは打ち消してお釣りがくるくらいの好きな人ができた、それは「告白」という概念が薄かった自分に新しいシステム「告白」をさせてくれた人だった。
当たり前だけれど、告白をさせてくれるのと、付き合ってくれるのは別物だ、告白したけれどフラレテしまった。
初めてちゃんとフラレテ心が本当に苦しかった、何なんだ、この心を、バラが巻かれたバットで強打されたかのような気持ちは??
どこにも逃げ道がないような、この気持ちは??
そんな気持ちがある程度落ち着いてきたときに、また運命の人が現れた、新しい恋愛で古傷を治す、とはこういうことなんだって知った。
でも、新しくアザを作ってしまった。
大学生活、3~4人好きになったけど、結局いろんな形を持って、ちゃんとフラレテしまったわけだ。
でも、それはそれでいいんだって思える。
ちゃんとフラレタ分だけ、なんとかカサブタになって、多少のくすみはあるものの、なんとか治っている。
忘れるキッカケがあったから、なんとか忘れている自分がいる。
ウラログで書いた「マジシャンモード」も功を奏してか、だいぶ客観的なフラットな気持ちで状況を見れている自分がいることにホッとしている。
でも、「あの人」に関しては、なんだろう、変な感じ。
例えるのならこんな感じ、頭の中に小さな腫瘍ができて、それが神経に触って表情が上手く作れなくなってしまう病気がある。顔面痙攣。治療法は、目的となる頭蓋骨に小さな孔をあけて骨を取ってしまい、そこから神経と腫瘍との切り離し作業をして、縫合する。しかしそのときには、小さければその孔を元あった骨でふさぐことはしないようだ、問題がなければ孔が開いたまま、縫合をして終わり、ということもあるようである。
死んで火葬されて、骨を見たらあぁ欠損してるんだっていうことで見つけられる、でも火葬しながらかき回すから、たいてい粉々で、標本のような形で戻ってくることはないだろうからわからないってこと。
僕の「あの人」に関してもそれが言えるのかもしれない。
心の中の恋愛の気持ちに開いた小さな孔があって、別にそれは今の自分にも、今後の自分にも何か影響を与えるわけでもない、でも、何かひとつフラれたりして、酒を飲んだり、泣いたり、慰めたりして「火葬」されれば、ちらっと心の視界の端に映る何か、になっているんだろうなって思う。
長く書いて、またわかりにくくてすいませんね。
忘れらない人はいます(笑)
それだけでいいでしょう(笑)
忘れられない人を増やすより、大切な人と会いたいものです。
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