- 名前
- 将太朗
- 性別
- ♂
- 年齢
- 47歳
- 住所
- 新潟
- 自己紹介
- ウォーキング始めました。 いつかは山男になるんだい、と汗かき奮闘中。ドライブも出来る...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
今だからこそ
2011年03月12日 23:53
東北・関東大地震、酷い惨状です。
いえ、この世の地獄です。
震度7の揺れに始まり、次々と押し寄せる津波、
起こり続ける余震、
海の中で燃える家、町全体に広がる大火、
津波の爪あとが残り、水が引かない町。
果ては原発で放射能漏れ…。
人は無力です。
ここ新潟でも起こる地震の余波。
今朝のマグニチュード6クラスの地震と
連動する余震。
まるで日本という国を根こそぎ奪い取ろうとしている
かのような事象の数々…。
今も行方不明になっている人たちが
「いや~参った。連絡つかなくて困ってたんだよ」と
ひょっこり帰ってきて欲しい。
でもたくさんの遺体が砂浜に打ち上げられている
現実があります。
今朝の6時にNHKの航空中継を見て
愕然し、恐れおののくだけでした。
昨日の航空自衛隊の空から津波が押し寄せる
姿を捉えた映像はまさに悪魔が襲い掛かろうと
しているかのようでした。
私は三陸海岸という場所が好きです。
私はドライブが好きですが、そのきっかけを
作ってくれたのが今まさに被災された人たちの
住む場所。
海は奇麗だし、そこで取れる海産物は美味しかった。
私はたまに行けないからこそ、
様々なガイドブックを見て研究を重ねました。
○○は安いけどとてもボリュームがあるんだって。
○の宿は景色が最高なんだって。
自分で見つけだした旅…。
それは今の自分の一番大切な思い出の一つ。
ロングドライブに相応しいご褒美でした。
目で焼き付けるご褒美はリアス式海岸の造形美。
私は
奇岩がゴロゴロと転がる風景が実は海によって
何千年、何万年とそこが侵食された結果
出来上がったこと、知ってます。
そして
ここが何度も地震による津波で大被害を被ってきた事、
知ってます。
でも知ってるだけじゃダメなんですね。
太朗という場所は10メートルという防潮堤を
作り、高台にも避難できる場所を作り
津波が来たらどうするか、という教育を
何度も実践してきたといいます。
津波の博物館というところに行った時、
恐怖を語ると共に
私達は打ち勝つんだ!という
心意気を強く感じました。
先駆者達の無念を晴らすためにも!
という意思が感じられました。
しかしその町も津波に飲み込まれた、と聞きます。
地元の人たちは今、まさに生きているのが
やっとという状態だと思います。
数え切れない悲劇を私達は知ろうとしています。
正直言ってこれは夢であって欲しい、
マスコミが流したデマであって欲しい、
よく出来たCGであって欲しい、
と思ってしまいます。
でもこれは現実です。
だからこそ言いたい。
今だからこそ言いたい!
この先この地区の人たちが将来を悲観する場面が
必ず生じると思います。
でもあなたたちは一人じゃありません!
日本の人たちや世界の人たち、
そして過去において被災され、生き残った人たちが
再び立ち上がって作り上げた町が
かつてそこにはあったじゃないですか。
だから再び立ち上がれるはずです。
私達新潟県人も地震によって
辛い目に遭いました。
だからこそ言います。
一緒に生きよう!!
朝のない夜は来ません!!
いつでも応援します。
「昔、大地震があったんだよ…。」
と、私がおじいさんになったとき、
辛くとも、未来を語れる事象にしたいものです。
頑張ろう、みんな!
補足)
一部ミスがあります。
太朗→田老です。本当、失礼しました。
なおこの町を囲んでいたのは防潮堤ではなく、防波堤です。
城塞都市、と喧伝されていたように、
最大10mの高さの護岸が町を囲んでいたそうです。
今回の津波は推定15mだったそうで、どうしようもありませんね。
それでも人が逃げる時間を若干確保できたので、
人的被害は比較的少なく
(それでも数十人以上の方が死亡、または行方不明です)
もしもこれらの防護壁が無ければ30mぐらいの高さの波
だったんじゃないか、との報道も一部出てます。
テレビで見る限り、
津波ってのは本当に恐ろしいです。
あっ波が押し寄せてきてる
↓
えっ家、流されてるよ
↓
どんどん飲み込まれてる
↓
うわぁ…(絶句)
でしたからね。本当、何も言えません。
波に飲まれた人たちが1人でも生還できれば、
最悪帰って来れなくても、行方不明者が一人でも見つかるよう、
お祈り申し上げます。
このデジログへのコメント
コメントを書く