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終戦記念日
2010年08月16日 20:27
一日遅れましたが、
自称ミリタリーヲタの僕の目線から観た
戦争感。
僕は自称ミリタリーオタクの側面も持っていたりしますが
中でも、陸軍、空軍関係が守備範囲だと思っています。
今年は帝国海軍航空隊の特攻隊について。
元々、心身ともに優秀じゃないとなることは難しいパイロット。
帝国海軍では終戦までその姿勢は貫かれたと僕は思います。
特攻機の乗員育成も例外ではなく選抜、訓練共に厳しいモノだったと聞いてます。
一般のパイロットの養成と特攻機のパイロットの養成との根本的な違いは育成期間。
だから、特攻隊員として養成される彼等が最前線の基地で与えられる機体は
誉れ高き”ゼロ戦”ではなく、
大して速度も出ない木製の訓練機だった事を知ったときはショックを感じました。
選り抜きとされて予科練に入って厳しい訓練をこなして
自信に満ち溢れて最前線基地に配属されて渡される機体が鈍足の訓練機。
ゼロ戦はあくまでも、ベテランのエースパイロットの機体。
憧れは、憧れのまま。
「あらゆる物資が不足していたから仕方がない」。とか、
「速度が遅くて任務を達成できない」。とかではなく、
当時、10代後半~20前後の男子達が、
一生懸命頑張っても、
手が届くのに諦めなければならない事があったと言う
事実。
彼等、今の世の中では運動神経抜群の進学校の生徒や国公立大に通う学生と同等の人たちです。
適当に暮らしていた訳じゃない。
今は当時と比べて、物事は細分化されて先に繋がるチャンスもあるし、当時の特攻隊員の年齢ならそれこそ無限大。
余もすれば、慣れすぎで忘れる事もあるけどこれは先人がもたらした恩恵。
最大限に生かさねば。
うちのテレビアンテナが、台風で向きが変わったり飛んで行ってしまわないようにワイヤーを張って固定してあるのをみて
「軍艦のマストの固定方法みたいだ~」
と思いながらタバコをふかした日の日記。
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