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主体的選択・責任と他者・社会の相互関係・責任、そして私の怒りなど

2010年02月12日 11:56

おいらの言動にはそれを選択しているおいらの主体的責任がある。こういう当然のことがかなり明確に理解できるようになった背景には、おいらのさまざまな体験と、そこから生まれた苦しみ、そのことに対する見つめ直し、それを促してくれた人々などの、多くの事柄、さまざまな関係、人々が関係している。
 おいらが過去に犯した犯罪に関する、もう30年ほども前になる裁判の過程で、そのことに対する自覚の無さゆえに、偽装結婚をし、相手の女性に私が少しでも減刑になるよう証言して貰おうとしたことがあった。しかしその証言が逆に、裁判官偽装結婚ではないかと指摘されるようなものになり、そのことにうろたえたおいらがあくまで理想の結婚である旨主張したくなったことがある。
 しかもその頃のおいらは、和尚ジニーシという人の弟子であり、愛や瞑想に根ざした生き方をしたいと、言葉の上では望んでいたりしていた。しかしその頃のおいらには自分の力でそのような道を歩む能力がなく、師の下にできるだけ早くいき、その直接の指導、アドバイスなど受けることでしか成長できない、無力な存在であるように思っていた。そしてその最優先すべきと考えていたことを実現するためには、できる範囲のことだけどどんな手段を取っても良いと考えていた。愛や瞑想的な意識を実現するということが最優先される価値であると考え。
 そのように考えるにいたる過程にも、逮捕される際には、自分は逃亡生活の中でテロリストから瞑想家へと変容するという、稀有なことを成し遂げた人間であるというような、自己過大視と、逮捕後の現実の中でのその過大視の誤りの自覚と、そこから生まれて強い自己卑下、自己無力感などがあったのだけど、、ここでは詳しくは書かない。
 ともあれ裁判官偽装結婚ではないかと指摘され、そうではないという意見書を書こうとして、おいらはたとえようもないほどの、自分自身に対する醜さを感じ始めた。愛と瞑想の道を歩もうとしていた自分が、その目的のために
そうしたこととまるで逆の、女性の私への愛を利用し、しかもあからさまになってきた偽装を。さらにそうではないと言いつくろい、ごまかし、美しい言葉で装うとしている自分に、なにか黒々とした深い闇に落ちいっているような
、そういう感覚がやっと湧いてきたのだ。

 その自覚を機に、おいらはその頃親しく手紙のやり取りをしていた、未決無期囚の飯田博久さんの勧めで、自分の生い立ちからの人間関係などを、文章化して細かく見つめ直す作業に入っていった。その中でおいらは自分が以下に物事を自分に都合よくかながえてきた人間かを、まざまざと思い知らされた。その作業のなかで、何か本当に胸のあたりから黒々としたもやのようなものが立ち上がっていくのを感じた。そういう見つめ直しの中で、自分の言動に対する主体的責任、ということをかなり明瞭に自覚し始めたのだった。そのことに付いても詳しくは書かない。
 今回はただ、自分がそういうことを自覚できるようになるためには、そういうさまざまな体験が必要だったこと、
また裁判官検事のような存在も必要だったこと(彼らのあり用を全的に肯定するわけではない)、そして飯田さんのような深く自分を見つめてきた人が、ともに考えてくれること、適切なアドバイスをしてくれることが必要だったこと、などなど様々なことが関係しているということをあきらかにしておきたかっただけだ。主体的選択・責任に自覚ということが、単なる個人的な事柄ではなく、その背後においらの体験の総体や、多くの人々が関わる複雑な相互関係があるということを、書いておきたかった。
 
 長くなるので後ははしょる。そういう相互関係の視点から考えると、私が兄をここに受け入れたこと、あるいは妹、新ちゃんを受け入れたことの中にも、さまざまなそれに関わる事柄があり、兄を廃人化しつつあった?精神病院、新ちゃんをひどく搾取していた彼の前の職場の人たち、あるいは彼にいいかげんな対応しかしていない彼の所属している共産党(彼は今も共産党員である)、あるいは天理教(彼は天理教とでもある)、そういう組織などに対する、憤りも感じる。そいううところに属する人々が、もう少し良い、深い対応をしていれば、おいらが彼らを引く受けるというような過重な選択をしないですんだのだ。
 かってのようにそれを憎み暴力的にコプ劇使用などという衝動、欲求は持たないけど、そういう人々も人と人とがともに生きられる方向に変革されていく必要があるというか、総体として、細やかに変革、改善されていかないと、
その分だけ過重な負担を強いられる人々が出てくる。そしてそれはどこかで犯罪などの形で噴出したりするのだ。したがって、世の中で起こっている犯罪などに関し、何の責任も無いような人々はこの世界にほとんどいない。

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